キューバ革命の英雄フィデル・カストロ(Fidel Castro)が目指した理想の社会は実現するでしょうか?

昨年の11月25日にキューバ革命の英雄フィデル・カストロが90歳で逝去して今日で1年になりました。昨日から、当地のテレビや新聞はカストロを追悼する番組や記事で一杯です。

ハバナ市の至る所でフィデル・カストロの写真が掲げられています。私が住むアパートの近所にある普段は社会主義革命とは縁遠いようなディスコ・バーも彼を称えています。

ハバナの旧市街でも、普段は革命博物館の中に展示されているグランマ号(メキシコに亡命していたフィデル・カストロがキューバに戻った時に使った船)が、彼を称えるイベントのために外に出されたようです(写真はGranma紙から引用)。

Desfile Militar por el Anviersario 60 de las FAR y Desembarco del Yate Granma

キューバの人々のこうした様子は、全体主義的な社会主義政権に扇動された国民が動員されているという見方もありますが、キューバ国民の中には心から彼を尊敬し誇りに思っている人も少なからずいるようです。

旧ソ連や東ヨーロッパの国々など、歴史上社会主義の実現を試みた多くの国が挫折した中で、彼だけは最後までその理想を追い続けました。教育や医療の無料化、ストリートチルドレンのいない社会はかろうじて実現しましたが、生産性の低迷による計画経済体制の行き詰まり、思想や言論の自由の統制への批判、権力内部の腐敗など他の社会主義諸国と同様に直面した問題には十分に対処できませんでした。

キューバに住んで10ヶ月ですが、経済効率よりも「社会正義と平等」を重んじるとするこの国は、我々のように資本主義社会で生きてきた人間とは違う価値観で動いていると感じます。日本に比べるとキューバは本当に貧しい国ですが、ハバナ市にあるラテンアメリカ医科大学では、キューバ人だけではなく外国からの留学生も何と学費無料で受け入れています。また、中南米諸国で頻発するハリケーンや地震による災害現場には、いつも真っ先に駆けつけるキューバ人医師団の姿があります。こうしたキューバの政策を、孤立して立ち行かなくなった全体主義国家が国民や外国の目をそらすためのハッタリだという見方もあります。(これもキューバの現実です↓。)

実際、海外に派遣された多くの医師が、祖国の厳しい状況から逃れるために亡命しています。でも、私としては、そうした見方もできる一方で、必ずしもそれだけとは言い切れないと感じています。

カストロは「キューバは貧しけれど誰も飢え死にしない国だ」と言いました。「人間はお互いに助け合って生きるべきだ」という彼の単純な思想は、今でもキューバ人の心に根付いているようです。例えば、このブログでも何回かご紹介していますが、日本に比べてキューバでの生活は厳しく、日本では安くて当たり前に食べられる卵でさえもなかなか手に入りません(卵はキューバ人家庭への配給や観光ホテルに優先的に回され外国人生活者にはあまり届きません)。でも、そんな状況を知ったキューバ人から、卵を恵んでもらった経験が何回かあります(下の写真は今朝もらった卵です)。キューバ人の生活は我々よりももっと大変で、こちらは金に困っているわけではないので、実費だけでも払うと言っても受け取ってくれません。先日も、こちらで唯一の移動手段の自転車のタイヤがパンクして困っていたところ、キューバ人の知り合いがそのタイヤを外してどこかの修理屋に持って行って直してくれましたが、これまた代金を受け取ってくれませんでした。おそらく経済的には日本の貧困層とされる人々よりさらに下のレベルにある普通のキューバ人のこうした行動は、どう説明したらいいのでしょう。また、これまたこのブログで何回か紹介していますが、貧しくても芸術や文化活動に多くの予算を注ぎ込むこの国は、我々の感覚からすると何か変わっています。さらに、キューバの治安は、他の開発途上国はもちろん、欧米の多くの国と比べても良いのはなぜでしょう。

話は少し逸れますが、私はかつて経済学を勉強しました。ミクロ経済学の教科書には、企業は利潤の極大化を目指し、消費者は効用(満足度)の極大化を目指すのが資本主義社会における「合理的」な行動だと書かれています。企業や個人は自己の利益を考えて行動するのが自然であり、その結果他の企業や他人がどうなるかについては書かれていません。最近では、企業や個人の単位ではなく、国の単位でも自国の利益を第一に考えて○○国ファーストと叫ぶ政治家も登場しています。

でも、キューバにいると、資本主義社会では合理的で当たり前の行動が、ここではそうではないと感じます。貧しくても他人や他国の利益を考える行動は、我々にとっては合理的ではなくても、キューバ人にとっては合理的なのかもしれません。もしキューバ人の中に、自分や自国の満足度は、他人や他国の満足度を引き上げてあげることでさらに高まると考えている人がいるとすれば、何となく納得がいきます。貧しくても平和で、国民全員が教育を受けて健康でいられ、さらに文化やスポーツ活動を楽しめるというのは、「人はパンのみにて生きるものにあらず」というキリストの言葉に通じるところがあります。

旧ソ連などの崩壊により、資本主義は社会主義に勝利したかに見えました。でも、米国や日本では、大企業と中小零細企業の格差、さらに国民の間に貧富の差が広がり、社会的な閉塞感も高まっています。キューバにいると、日本人も発想を変えれば、もう少しハッピーに生きられるのではと感じています。キューバのアラカン世代に聞くと、昔はもっと人々に思いやりがあって助け合って生きていたと言います。今のキューバの体制はどれだけ続くか分かりませんが、社会主義革命のいい意味での成果とフィデル・カストロが目指した理想はいつまでもこの国に残ってもらいたいと思います。

ところで、キューバではフィデルが死んでから1年という表現は使われず、フィデルの「肉体が消えてから(Desaparición Física)」1年と言われています。フィデルの肉体は消えても、彼の魂は「Yo soy Fidel(私もフィデル)」と信じるキューバ国民の心の中で生きているのでしょうか? 

 

よろしければ、こちらの記事もご覧ください。

キューバは、旅行するのと生活するのでは大違いの国です。(その6)キューバは貧しくて不便ですが、何故か居心地の良さを感じる国です!

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