小説 ある日曜日(Um Dia de Domingo)

 

第9話】

『合成麻薬の一種。略称 MDMA、他に エクスタシー という通称を持つ。・・・特有の精神作用により幻覚剤にも分類されるが、この幻覚剤とは多幸感や他者との共有感などを指す。・・・また、興奮作用により長時間激しく踊り続けるなど過剰な運動に陥ると、大量の発汗から脱水症状となり、心臓発作や脳卒中、けいれん発作などを起こし、死亡する例もある』

 

木村社長の取材記事は、金曜日と土曜日で仕上げて編集長に送った。我ながら上々の出来だ。

晴れて気持ちのいい日曜日。めずらしく早起きした。

お気に入りのケニーGを聴き、ネットサーフィンしながら、リカルドの妻を死亡させた麻薬のことを調べていると、サンパウロのセルジオ金城からメールが届いた。

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調査依頼からわずか一週間。アミーゴ(友達)のお願いにすぐに応えてくれるところは、彼はもうラティーノ(ラテン人)だ。

多民族で構成される南米の社会では、会社などの組織が従業員や取引先の人物の素性を調べるのは常識だ。金とコネさえあれば、ちまたの庶民の情報など簡単に集められる。個人情報保護法とか、いろいろうるさくなってきた日本とは大違いだ。

『親愛なるフリオ。あいかわらず悠々自適な生活を送っていると思う。俺も元気だ。本業はパッとしないが、2008年に迫ったブラジル移住100周年の記念行事の準備が忙しくなってきた。気軽に実行委員を引き受けたが、思ったより大変だ』

挨拶文のあとは、仕事のできる男らしく、情報がきちんと整理されている。

(1)ブローカーの守屋について

元は、日本の中堅商社のサンパウロ駐在員。46歳。会社がブラジルからの撤退を決めた時点で退社し、駐在員時代のコネでブラジルの永住権をとった。彼が勤めていた会社は、その後バブル崩壊のあおりを受けて倒産していて、その意味では「先見の明」がある男だ。

業界仲間から聞いた話だが、現在彼は、市内のある不動産会社の中にデスクを構えているが、不動産屋の顔以外に、人材派遣ブローカーの顔をもっている。日本の派遣会社10社余りと取引をして、出稼ぎ希望の日系人を紹介して斡旋料を稼いでいる。この頃は、外人相手に高額の手数料を取って、日系人になりすますための偽造パスポートの作成や偽装結婚の世話など、危うい仕事にも手を染めているらしい。

調査依頼があったリカルド田中とアナ・バロスの件では、守屋の悪知恵が働いていたと思うが、彼は日本人らしく「顧客のプライバシー」に配慮して商売しているので、詳しい情報をとるのは難しい。

(2)アナ・バロスの母親だという女について

本名はクララ・フォンターナ。52歳。名前から明らかなように、この女はアナ・バロスの母親ではない。

ウチの会社が使っている興信所の人間に、女が出入りしているマンションに行ってもらい、そこの守衛に少しばかりのチップを渡したら、全部しゃべってくれた

ご存じのとおり、ブラジルのちょっといいマンションでは、居住者と使用人は、出入り口や使うエレベーターが違う。その守衛は、毎朝、出勤する女中たちから身分証明書を預かり、彼女らが帰る時に、勤め先の家庭から何も盗んでいないか検査してから返している。クララ・フォンターナは、毎日そんな風にチェックされている通い女中の一人だ。

彼女は、そのマンションの10階で働いている。そこは元々、5年ほど前に交通事故で死亡したサントスという夫婦が所有していたが、今は、その夫婦の養女であるカロリーナ・サントスとその子供だけが住んでいる。

もうお分かりのとおり、リカルドの妻アナ・バロスがもっていた出生証明書に記載されたカロリーナ・サントスとその子供は、クララ・フォンターナが女中として働いているマンションの住人だ。

(3)アナ・バロスについて

写真に写ったアナ・バロスは、カロリーナ・サントスにそっくりだ。一卵性双生児というやつだ。姉妹の苗字が違うのは、カロリーナの方がサントス家の養子になったからだ。

アナ・バロスについては、カロリーナの姉という以外の情報がつかめない。リカルド田中との「お見合い」が決まってから、どこかからサンパウロに出てきたのかもしれない。

(4)カロリーナ・サントスについて

サントス夫妻の養子だったカロリーナは、1999年にサンパウロ大学を卒業したあと、市内にある日系の旅行会社グローボ・トラベルで一年ほど働いている。

その会社に勤めている俺の知り合い(名前は○○××)からの情報によると、カロリーナは、勤務成績が優秀と認められ、将来の幹部候補として、2001年1月から10カ月ほど日本で研修を受けるチャンスを得た。知ってのとおり、最近ブラジルの日系企業では、管理職レベルの日系人まで出稼ぎに行ってしまうため、その穴埋めとして優秀な外人の養成を急いでいる

ところが、日本に行ったカロリーナは、会社の期待に反して、研修を修了する前に会社に退職を申し出た。その辺のいきさつは東京にあるその会社の支店で聞いてもらいたい。住所と電話は、○○××。

会社を辞めたあとの日本での足取りは、こちらではつかめない。

彼女は、翌2002年の3月頃にはブラジルに帰国し、以前と同じくサンパウロのマンションに一人で住んでいた。

サントス夫妻が死亡した時、まだマンションのローンが残っていたらしいが、彼女は日本で稼いだらしい金で残額すべてを完済している。(ブラジルでは日本と違い、住宅の所有者が死亡すればローンをチャラにしてくれるような結構な保険は普及していない。)

また、これは興信所からの情報だが、カロリーナは、同年の9月2日にサンパウロ市内の病院で長男を出産している。名前は、出生証明書のとおりペドロ。少し難産だったので、南米の産婦人科医の常識ですぐに帝王切開の措置をしたらしい。出産日から逆算すると、彼女が妊娠したのは、まだ日本にいた頃と思われる。

ペドロの顔つきから、父親は日本人「らしい」が、名前は分からない。

余談だが、昨日俺は、たまたまカロリーナが住むマンションの前を車で通り、プレイロットでペドロを遊ばせているカロリーナと女中を見かけた。

カロリーナは、まだ母親役が身についていない様子で、子供は女中の方になついていた。

(5)結論

調査結果から推定すると、リカルド田中は、カロリーナの双子の姉にあたるアナと偽装結婚した。つまり、妹は姉に、自分の住むマンションを「お見合い」の場所として提供した。カロリーナの使用人クララ・フォンターナは、誰かからいくらか渡され、アナの母親役を演じた。リカルド田中がマンションを訪ねた時、カロリーナは子供を連れてどこかに隠れていたのだろう。

アナは、日本に行く前に、カロリーナからペドロの出生証明書の写しをもらい、日本に着いてから彼の父親を捜すことを頼まれた。ところが、父親を見つける前に、悪い仲間に誘い出されて、運悪く事件に巻き込まれてしまった・・・というわけだ。俺の読みは当たっていると思うが、また必要なことがあれば何でも調べるから、いつでも連絡してくれ。それから、今回の調査でかかった費用は、会社の必要経費として落とすから心配なく。では、また・・・』

やれやれ、自分の考えにえらく自信をもっているし、アミーゴのためなら公私混同までしてくれる。彼は、もともとラティーノみたいな日本人だったのかな?

セルジオ金城の調査結果はそれなりにまとまっているが、何かしっくりこない。東京の方でも調べてみるか・・・。

【第10話】に続く

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