中高年は山を目指す その2

日本からパナマに来たアラカンのアルピニストにとって、隣国コスタリカと国境を接するパナマのチリキ県にある標高3475メートルのバルー火山(Volcan Baru)はずっと気になる山でした。でも、こんな理由で登山の決行をためらっていました。
- 体力不足 ここ2年以上本格的な登山はしていないし、以前に比べて運動もだいぶ不足しているので、登れる自信がない。
- 情報不足 山小屋は無さそうなので日帰りしたいが、英語やスペイン語のサイトで調べても、頂上までどのくらいの標高差を何キロくらい歩くのかよく分からない。4月最初のパナマはまだ乾季で、天気は安定しているが、どれ位の装備で行けばいいのか分からない。
こんな不安がありましたが、海外での本格的な登山はもう一生経験できないかもしれないので、先月の聖週間(セマナ・サンタ)期間中の4月4日、セニョーラと共に決行しました。日本から持参した登山靴を履き、日帰り用に十分な水と食料を持ち、明るいうちに戻れないと途中で判断した場合には、勇気を持って引き返すつもりで出発しました。
当日は車で行けるところまで行き、朝の7時前に車を置いて歩き始めました。出発地点の看板によって、頂上までの標高差1700メートル強を片道約13.5キロ歩くということがようやく分かりました。
ここで早くも不安になりました。かつて富士山に登った時は、約2400メートルの5合目に車を置き、頂上まで1300メートル強を登りましたが、5合目に戻った時は真夏でしたがすでに暗くなっていました。今回は山の高さはやや低いものの、400メートルほど余計に登らなくてはなりません。
歩き出すと、道は整備されていましたが、やはり3000メートル級の山です。7.5キロ地点の「ネズミのカーブ(Curva Raton)」までは順調でしたが、頂上が近づくにつれて、疲労と空気の薄さでだんだんペースが落ちてきました。
頂上を目前にして、いよいよ体が動かなくなり、「もはやこれまでか」と思った時、なんと、救いの神「山のタクシー」が現れました。写真を撮らなかったので分かりにくいですが、富士山もブルドーザー用の道を通れば車両で山頂まで登れるように、この山も、大きなタイアを履いた特殊仕様の四輪駆動車で山頂付近まで行けます。ちょうど山頂に客を迎えに行く途中のタクシーの運転手が声をかけてくれ、日頃の運動不足を反省しつつ、不本意ながらほんの少しの距離ですが乗せてもらって、時間を稼ぐことができました。
山頂手前のアンテナが一杯立っている場所でタクシーを降りると、頂上まではあと僅かです。この日は、山頂付近は晴れていましたが、眼下に雲がかかり、残念ながら太平洋と大西洋(カリブ海)を同時に眺めることはできませんでした。
山頂には、落書きだらけの十字架が立ててありました。時はまさに聖週間、処刑場に向かうキリストのようにボロボロになりながらも、なんとかパナマそして中米の最高峰に到達です!
山頂でおにぎりを食べながら、360度広がるパノラマの絶景を堪能していると、体力と気力がだいぶ回復したので、正午過ぎに下山を開始しました。上りに比べて体力的には楽ですが、疲労と足の痛みでペースが上がらず、途中で休憩を繰り返しながら、出発地点には夕方6時頃に着きました。
今回の登山の感想はこんな感じです。
- 聖週間の連休の最中で、外国人を含めて多くの登山者に出会いましたが、大半は若者でした。日本と違って、ここでは中高年層はあまり登山をしないようです。
- 「富士山に登らないバカ、二度登るバカ」と言うのは、この山でも当てはまります。日本の北アルプスの山々と違って、登山道は単調で、山頂付近までは景色もよく見えません。でも、二度登りたいとは思いませんが、登ってよかった山でした。運も味方してくれて、一日中天気がよく、おかげさまで一生思い出に残る経験ができました。Suerte !
宿のあるボケテ(Boquete)に戻ってから、この町に住むカナダ人が最近始めた地ビールの店に行きました。セニョーラと共に、店が揃えた全種類のビールを飲み干して、今回の登頂の成功を祝いました。Salud! こうして、天国と地獄の気分を味わった長い1日が終わりました。
なお、このボケテという町は実に面白いので、また別の機会にご紹介します。