ホセ・ムヒカ氏の世界観である『人々の幸せを目指した開発』を実践する国ウルグアイ

●はじめに

ウルグアイで2010年3月から5年間大統領を務めたホセ・ムヒカ氏は、日本を含めて世界で最も有名なウルグアイ人の一人です。モンテビデオの郊外にある小さな農場に夫人と二人で暮らし、年代物の車とトラクターを自ら運転して「慎ましく」生活する姿は、『世界一貧しい大統領』と評され、メディア等で頻繁に取り上げられています。

日本でも映画が公開されています。

一方、ムヒカ氏は、世界が直面する貧困や環境問題等に関するユニークな発言でも注目され、特に2012年6月にリオデジャネイロで開催された「国連持続可能な開発会議」でのスピーチは有名です。同氏曰く、『貧乏な人とは、物を少ししか持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足できない人』です。いくらお金を稼いでも、幸せとは無関係な物をローンで購入し、ローンの返済のためにさらに働く人は、無限の欲望を追求する消費社会に毒されて一生を終える貧しい人です。人生は短く、必要最低限の物さえ持てば、人が幸せになるために必要なのはそれ以外のもの、つまり、愛、家族、友人等であり、リウマチを患う自身の経験から健康の大切さも示唆します。資本主義がもたらした浪費社会を批判し、『人々の幸せを目指した開発』とは何かを問うムヒカ氏は、この世の中を変革するためは、人々の意識改革のみならず政治の役割も重要であると主張しています。

さて、私はウルグアイに赴任し、モンテビデオで約2年半生活しましたが、ムヒカ氏のミニマリスト的な世界観は、同氏の生き方のみならず、ウルグアイ政府の近年の開発政策や人々の暮らしぶりにも反映されていると思います。以下では、私の観察を裏付ける具体例を紹介しますが、限られた経験と主観に基づく記述のため、事実の誤認等があればご容赦願います。

●人々が「慎ましく」生活している国

ウルグアイにも貧富の格差が存在しますが、他のラテンアメリカ諸国ほど顕著ではありありません。モンテビデオでは、ホームレスは見かけますが、義務教育が行き届いているためか、ストリートチルドレンはほとんど見かけません。

ウルグアイはラテンアメリカでも中流階級以上の層が厚い国ですが、多くの人は地味な格好をして、物は古くなっても大切に使い、派手な消費生活を送っている様子はあまり窺えません。私事で恐縮ですが、筆者はあるスポーツクラブの会員ですが、裕福そうなウルグアイ人の会員を見ても、「慎ましい」と感じます。ゴルフクラブやテニスラケット、さらにスポーツウェアや靴等の「衣」に関しては、品質の良いものを長く愛用している様子です。

また、「衣」だけでなく、人にもよりますが、ウルグアイ人の性格もラテンアメリカの中では「慎ましい」と感じます。日本人と同じで、人見知りで物静かですが、根は優しくて親切な人が多いと感じます。コロナ禍でも、今のところ特定商品の買い占めや治安の悪化等の社会不安は顕在化しておらず、多くの人々は基本的なマナーを守って淡々と生活している印象です。

ウルグアイ人の「慎ましさ」は、モンテビデオの街の様子にも反映されています。ラテンアメリカでは、ウルグアイと同様に経済成長が著しいパナマの首都等では、ベンツやレクサスなど世界中の高級車で溢れています。一方、モンテビデオでは、空港のタクシーはベンツですが、市内ではピカピカな高級車よりもスズキなどコンパクトな車が目立ちます。人々は、見栄よりも実用性を重視するようです。運転マナーも、一部のタクシーを除き、他国に比べれば「慎ましい」と感じます。さらに、空港の免税店を除けば、ブランド品を専門に売る店もあまり見かけません。派手なネオンが輝く歓楽街も無さそうです。

モンテビデオの街では小型の車が多いです

ウルグアイ人の「慎ましさ」は、「食」にも反映されています。ラテンアメリカの多くの国では、所得と生活水準の向上に伴い、人々は食生活にも質の高さとバラエティーを求めるようになりました。こうしたニーズに応え、最近では、ペルーのリマを筆頭に、多くの都市で世界レベルのレストランが出現していますが、モンテビデオは例外です。一般的に、ウルグアイ人の食生活は質素かつ保守的で、贅沢なグルメや珍しい料理にはあまり関心が無さそうです。高級そうな店は存在しますが、昔からの定番であるステーキ以外の料理については、海外から注目されるレベルには達していないと思います。

ウルグアイのグルメと言えば、昔も今もステーキとタナ(Tannat)品種のワインです。

日本では「衣食足りて礼節を知る」という諺がありますが、ウルグアイでは政治家としてのムヒカ氏には批判的な人も多い中流階級以上の層も含めて、衣食(住)がある程度満たされれば、残るお金やエネルギーは人生でもっと大切なものに使おうと考える人が多いようです。

●政府が国民の健康管理に熱心な国

日本と同じく、ウルグアイでも高齢化が進み、生活習慣病の予防等に関する人々の関心が高まっています。ムヒカ氏も、人が幸せに生きるためには健康が大切と述べています。ウルグアイ政府は国民の健康管理のために様々な政策を実施していますが、低所得者向けの医療サービスや在宅医療システムの充実以外に、いかにもウルグアイらしいのは以下の政策です。

ウルグアイの食料自給率は100%を遥かに超え、国民の腹はほぼ満たされていますが、政府は質的な意味での食料安全保障の改善も目指しています。例えば、Uruguay Natural(自然のままのウルグアイ)のスローガンを掲げ、農牧業では、農薬、化学肥料、人工飼料等を極力使用しない自然農法を推奨し、消費者の健康に配慮しています。また、焼肉レストラン等に対しては、塩分等を極力控えてサービスするように指導し、加工食品には「遺伝子組替」、「糖質過多」、「脂質過多」等のラベル表示が義務付けられています。

観光やグルメのスローガンは「Uruguay Natural」(自然のままのウルグアイ)です。

菓子を含む加工食品には「遺伝子組替(T)」、「糖質過多」、「脂質過多」等のラベルが貼られています。

もちろん、どのレストランでも客が望めば塩や胡椒が出てきますし、注意喚起のラベルが張られた商品を買うかどうかは消費者の自由であり、国民の健康管理はあくまで自己責任が原則です。一方、筆者の観察では、ラテンアメリカの他の国に比べて、ウルグアイでは社会階層に関わらず極端に肥満な人は少ないと感じます。新型コロナの感染拡大がある程度抑えられているのも、健康管理に関する一連の政策と国民の意識の高さによるところが大きいかと思います。

●エコな社会造りを目指す国

ムヒカ氏は、地球環境問題の解決には各国のイニシャティブが必要と述べていますが、ウルグアイの政府は以前から、石油や石炭など化石燃料への依存を減らし、脱炭素社会の実現に向けた政策に積極的に取り組んでいます。電力に限れば、すでに大半が水力と再生可能エネルギー(風力、バイオマス、太陽光等)で賄われています。モンテビデオでは電気自動車(バスとタクシー)も導入されています。さらに、化石燃料の輸入を減らし、エネルギーの自給率を高めることで、エネルギー分野での安全保障政策も推進されています。

廃棄物(ゴミ)の管理については、小売店等のレジ袋は有料で、材質も環境に優しいものであることが義務付けられています。都市部の多くでは、ゴミの分別収集が行われています。しかしながら、筆者の印象では、3Rの概念で言えば、物を長く大切に使う習慣によってゴミは減量(リデュース)されていますが、再使用(リユース)と再生(リサイクル)についてはさらに改善の余地がありそうです。また、モンテビデオでは多くの家庭がペットを飼っていますが、犬が散歩中に落とす糞までUruguay Naturalでは困るので、後始末について飼い主の意識を高める必要があります。

モンテビデオの街中に設置されたゴミ箱です。左はリサイクル品、右はそれ以外と大雑把ですが分別収集されています。

●スマートな社会造りを目指す国

ムヒカ氏は、人類は原始時代に戻る必要は無く、開発の成果は人間の幸せに向けるべきとも述べています。

ウルグアイはラテンアメリカの中でも、日常生活でインターネットやスマホ等のIT技術が最も活用されている国の一つです。パソコンも小中学生全員を対象に無償で貸与されています。モンテビデオでは、庶民の足であるバスの運行状況は、スマホのアプリで瞬時に確認できます。新型コロナ対策用に開発されたアプリは、感染状況からワクチンの接種計画まで詳細な情報を提供してくれます。コロナ禍で盛んになったオンラインによる授業や職場会議では、zoomやteams等のアプリがフルに活用されています。

さて、ウルグアイがスマートな国になるためには、いくつか課題があります。その一つは、人間が生活する上で「衣」と「食」と並んで重要な「住」です。モンテビデオの近郊でも、未だに不法占拠した土地に住む人や、雨風を防ぐには十分で無い家屋に住んでいる人がいます。ムヒカ氏の政権の時代から、政府は低所得者向けに質の良い住宅を供給する政策を推進中ですが、引き続き対策が必要です。

●『人々の幸せを目指した開発』を実践する国

1年前から始まったコロナ禍では、所得水準が高い欧米の先進国でさえ、国民の命や健康を十分に守れない現実が明らかになりました。一方、ウルグアイは、所得水準は先進国に及びませんが、食料とエネルギーの安全保障と並んで貧困層向けの教育や保健医療など人間の安全保障も充実させてことで、地球温暖化、リーマンショックのような経済危機、さらに感染症など、グローバリゼーションがもたらす負の影響にうまく対応しています。さらに、ウルグアイは、どこの国とも仲良くすることで、IT技術の普及や貿易投資の拡大など、グローバリゼーションの恩恵を十分に活用している国でもあります。

ムヒカ氏のスピーチから3年後の2015年9月に、国連は2030年に向けた「持続可能な開発目標(SDGs)」を採択しましたが、『人々の幸せを目指した開発』を実践してきたウルグアイは、10年後にはSDGs達成の優等生国として世界から注目されるかもしれません。

モンテビデオでは、愛犬を連れて、ラプラタ河沿いでマテ茶を飲みながらくつろぐ人が多いです。

 

(本稿は私が「ラテンアメリカ時報2021年春号に投稿した原稿に加筆訂正したものです。)

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