キューバと正反対の国パラグアイ に旅行して来ました。

セニョーラの生まれた国パラグアイに旅行して来ました。朝、ハバナからコパ(COPA)航空に乗り、パナマでパラグアイ行きの便に乗り換え、同じ日の夜にアスンシオンに着きました。長旅ですが、中南米の北から南への旅行ですので、時差が無くて助かります。

さて、パラグアイで私たちは、2016年10月にパナマでお別れした愛犬と再会しました。犬という動物は頭が良くて、かつての飼い主のことはよく覚えていて感心しました。パラグアイで美味しいものをたくさん食べて、随分太っていました。

 

パナマを去る前に愛犬にアディオス(Adios)しました…。

さて、最初に私がパラグアイ に行ったのは1980年代の後半で、長期の軍事独裁政権を敷いたアルフレド・ストロエスネル大統領(在任1954~1989年)の時代でした。その頃は、パラグアイは南米でも開発が遅れた国で、今のキューバのように、のどかで平和な雰囲気がありました(経済的には今のキューバより当時のパラグアイの方がはるかに豊かでした)。しかしながら、その後の民主化の進展、大豆、ゴマ、牛肉などの輸出振興による農牧畜産業の躍進、さらにアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイとの自由貿易など解放経済体制の推進により急速な経済発展を遂げました。今は、首都のアスンシオン近郊だけ見ても、30年前の面影はほとんどありません。住宅や道路などのインフラは随分と整備され、外資の積極的な導入により、ホテルやショッピングセンターなどが林立しています。街には、日本、韓国、中国、さらに米国やヨーロッパなど世界中からの車が溢れ、かつては想像できなかった大交通渋滞を引き起こしています。貧富の差は依然として大きく、政財界には相変わらず汚職が蔓延していると言われていますが、トリクルダウン的に経済発展を続けるパラグアイの状況は、前に住んでいた中米のパナマと良く似ています。

 

最近できた何軒かのスーパーに買い物に行きましたが、日本食はあまり置いていないものの、日本のイオンやヨーカドーなどの大きいスーパーより近代的で品揃えも豊富なのには驚きました。さらに、日系人や韓国人の方が経営する小売店では日本食を売っているので、アスンシオンにいれば日本とあまり変わらない生活ができます。

 

人間の数より牛の数の方が多いパラグアイでは、牛肉などの肉類や乳製品が美味しいです。最近では、日本人の方により和牛も導入され、所得が向上してい中産階級の人々に好まれています。私たちも、親戚の家で美味しい焼肉(アサード)料理をご馳走になりました。キューバではいい牛肉が手に入らないので、食い溜めのつもりで沢山いただきました。

パラグアイにも和牛が導入されています。

パラグアイ名物アサード(肉の炭火焼)です。

   さて、キューバでは4月19日に新しい大統領(国家評議会議長)が国会での「承認」により選出されましたが、パラグアイでは22日に国民投票による大統領選挙が行われ、与党のコロラド党から立候補したベニテス上院議員が野党の対立候補を破って当選しました。共産党の一党独裁で計画経済体制のキューバでは、経済発展が停滞し慢性的な食料やモノ不足により多くの人が困窮しています。一方、複数政党制で解放的な自由主義経済体制のパラグアイでは、金やモノが溢れ多くの中産階級が生活のレベルを向上させています。

某日本食レストランのスシバーです。

ケーキ屋さんも日本と変わりません!

 

パラグアイからキューバに戻り、地元のスーパーに買い物に行くと、そこには相変わらずガラ空きの棚と人々の長い列という見慣れた光景がありました。経済成長よりも「公正」と「平等」が第一で、そのためには国民の自由をも制限するキューバのような国が良いのか、平等よりもまずは経済成長を促進して中産階級を増やし、国民には自由とチャンスを与えるパラグアイのような国が良いのか、これからも考察して行きたいと思います。

パラグアイの首都アスンシオンは30年前の面影がほとんど残っていませんが、キューバの首都ハバナは60年前の面影が変わらないどころかむしろ崩れているのが印象的です。

 

よりしければ、こちらの記事もご覧ください。

キューバは政権が移行しても何も変わらない国です?

キューバは、旅行するのと生活するのでは大違いの国です。(その10)キューバでは相変わらず社会主義国の伝説を体験できます!

 

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