小説 ある日曜日(Um Dia de Domingo)
【第10話】
その週の水曜日の午後、私は渋谷にあるグローボ・トラベルの東京支店を訪れることにした。リカルド田中の亡き妻の妹カロリーナ・サントスの日本での足跡を調べるためだ。
事前に電話で訪問の趣旨を伝える時、サンパウロ本社にいるらしいセルジオ金城の知り合いの名前を出したところ、その知り合いとは会社の社長だった。
東京支店は「渋谷109」近くのビルにあるので、訪問の前に道玄坂のブラジル料理店で腹ごしらえすることにした。
正午過ぎに行くと、店の中はほぼ満員。昼食時のサラリーマン以外に、女性だけのグループが何組かいる。「外人」顔をした男の一人客が珍しいのか、時々視線を投げかけてくる。
昼のおすすめビュフェコースを注文し、シュラスコ(ブラジル風焼き肉)やサラダをゆっくり食べながら時間調整し、「日本人」らしく約束の時間ぴったりに目的地に到着すると、待っていましたと女性支店長のお出迎え。日系人らしい三人の女性従業員も皆笑顔で挨拶してくれる。偉い人の名前をだすとアテンドがよくなるのは、いかにも南米的だ。
応接室に入ると、支店長自ら事務所内に設置されている自動販売機に百円玉を入れ、私好みの砂糖がたっぷり入ったコーヒーを出してくれた。
「あっ、これは木村屋コーヒーですね」
「よくご存知ですね」
「先日、会社の社長にインタビューしました。なかなか野心的な人物ですよ」
「カロリーナは、ブラジル人らしくコーヒーが好きで、一日何杯も飲んでいました。従業員は自分で払って飲むのですが、自動販売機用にいつもたくさんの百円玉を机の引出しに入れていました。実は、その自動販売機を置いたのは彼女のアイデアです。うちは南米関係のお客さんが多いので、挽きたての美味しいコーヒーをお出しすれば喜ばれますから」
挨拶のあと少しばかり世間話をして、早速本題に入った。
支店長は、2001年の初めに、サンパウロ本社から研修のため来日したカロリーナ・サントスのことをよく覚えていた。
「カロリーナは、美人で性格もいい子でした」
「日本ではどんな生活を?」
「うちは経営が楽ではないので、経費の節約のため、彼女には埼玉県の浦和にある家賃の安いアパートに住んでもらいました。ここまでは埼京線一本で来れますが、朝は混雑するし、時々痴漢に遭ったりして大変だったみたいです」
支店長の話によれば、カロリーナは六畳一間に小さな台所とユニットバスが付いたアパートに一人で暮らしていた。会社から支給されたのは布団一組だけだったが、彼女はもち前の明るさから、近所に住んでいた出稼ぎの日系人たちと仲良くなり、電気製品など生活に必要なものを安く譲ってもらったらしい。
「彼女はまじめに研修してたんですか」
「はい。研修というより、カロリーナには支店の従業員みたいに働いてもらいました。ポルトガル語のほかに英語とスペイン語ができるので、主に外国人客のアテンドをしながら仕事を学んでもらいました。・・・それから、研修旅行という名目で、群馬や栃木など日系の方がたくさんいるところに連れて行って、営業活動を手伝ってもらいました。彼女は、お客さんからの評判がよくて、仕事も楽しんでいる様子でしたから、研修が終わる前に、突然会社を辞めると言い出した時は驚きました」
「彼女はなぜ会社を辞める気になったんでしょうね」
「カロリーナから聞いた話ですが、彼女が日本に来る前、つまりサンパウロの本社に勤めていた頃、育ての親が二人とも交通事故で亡くなったのです。事故を起こした若者は、酒を飲んでいた上に、保険がかかっていない女友達の車を運転していたそうです。事故の処理については、弁護士を雇って先方と交渉していたらしいですが、その若者の親は大金持ちの有力者とかで、優秀な弁護士を雇って対抗してくるし、地元の警察には手を回すし・・・」
正義が金で買える南米ではよくある話だ。裁判で相手方は、事故はカロリーナの年老いた育て親の不注意にも原因があると主張し、警察の調書もいつの間にかそれを裏付ける内容になっていた。
「カロリーナは裁判のことは弁護士に任せて来日していましたが、ある日、留守宅の世話を頼んでいる女中さんから電話があって・・・」
裁判が長引いて弁護士への支払いがかさむ上に、サントス夫妻が住宅ローン返済の糧としていた毎月の年金支給も夫妻の死亡によりストップして、銀行口座の金は底をつき、銀行から留守宅に入金の催促電話が毎日かかってきたらしい。ローンの支払いができなければ、住む家をとり上げられるのは、日本も南米も同じだ。
「カロリーナは、日本での研修が終わったら、ブラジルに帰る場所がなくなるのではと心配していました。実は、ある人から聞いた話ですが、カロリーナの日系人の友達に風俗店に勤める女性がいて、彼女はその友達に誘われて、週末は埼玉でその筋のアルバイトをしていたようです。日本でお金を稼いで、自分でどうにかしようと思ったのでしょう。実際、ブラジルの本社が彼女に払っていた給料だけでは、物価の高いサンパウロや東京で生活するのは楽ではなかったと思いますし、まして住宅ローンなんか払えるはずがありません。私やここの従業員たちも、昼はお弁当を持参するとかして、精一杯節約しています。この近くにブラジル料理の素敵なレストランがありますが、そんなところにはめったに行けません」
「近くにブラジルレストランがあっていいですね」なんて言わなくてよかったと思いながら、続けて聞いてみた。
「でも、彼女は、会社を辞めてどうする気だったんですかね」
「きっと、週末の稼ぎだけでは足りなかったのでしょう。ブラジルの会社でOLをしているより、手っ取り早く稼げる仕事に専念した方がいいと思ったのかもしれません。日本では、若くて綺麗な人が水商売すれば、ブラジルよりはるかに稼げますから」
「なるほど。で、彼女は必要とする金を稼げたんですかね」
「どれだけ稼いだのかは知りませんが・・・、ただ、研修中に会社を辞める場合には、事前の契約で研修経費の全額を会社に返すことになっていましたが、彼女はサンパウロに帰ってから、本社で一括返済したそうです。住宅ローンの方も片付けたみたいですし、きっと、相当稼いでいたのでしょう。会社を辞めても、じきに滞在ビザの有効期限が切れてしまうのではと心配もしましたが・・・」
支店長の話を聞き終え、情報の提供についてお礼をし、「今度皆さんをブラジル料理に招待しますよ!」とか調子のいい挨拶をして支店を出た。天気がいいので青山まで歩いて帰ることにした。
渋谷の街にたむろするコギャルたちを眺めながらぶらぶらしていると、リカルド田中がケータイに電話してきた。彼の職場は休憩時間に入ったらしい。なぜかケータイの向こうから賑やかな音楽が聞こえてくる。
「今度の週末ですが、日曜日は用が出来たので、土曜日の夕方にお伺いしてもよろしいでしょうか」
私は、毎日が日曜日のような生活をしているので、もちろんOKだ。
それにしても、リカルドの日曜日の用とはなんだろう。ちょっと気になるな。
【第11話】に続く