小説 ある日曜日(Um Dia de Domingo)
【第11話】
その週の土曜日の夕方、約束どおりリカルド田中が事務所にやってきた。2週間前に初めて会った時より、いくらか元気そうだ。
「週末のこんな時間にお邪魔してすみません」
「いや、お邪魔どころかありがたいよ。君が来なければ、一人ぼっちの週末だからね。ところで、明日はなにか用事ができたとか言ってたね」
「大した用ではないです。実は、この間の日曜日に近所を散歩していたら、公園のグラウンドから子供たちの元気な声が聞こえるので見に行くと、年配の人が、日本人とブラジル人の小学生にサッカーを教えていました。僕も小さい頃は、外人の子供に交じってサッカーをして遊んでいましたから、面白くてそばで見ていました」
「ほんと! 君がサッカーを? 昔はそんな体型してなかったんだろうな」
「指導している方はポルトガル語ができないので、おせっかいかなと思いましたが、日本語で言われることをブラジル人の子供に通訳してあげました。そうしたら、よかったら練習に参加しないかと誘われて・・・、昔を思い出して、ドリブルとかパスとか、調子に乗ってシュートのやり方までやって見せたら、子供たちがすごく喜んでくれました。でも、久しぶりに運動して、三日間ぐらい足が痛かったです。次の日曜日もぜひと頼まれたので、明日、また練習のお手伝いをすることにしました」
「そりゃいいや。子供たちにとっては、サッカーの本場からスーパーヒーローの登場だ。まあ、がんばってよ。で、今夜はどこに行こうか」
リカルドは、東京では六本木とか青山とか気取った場所しか知らないので、もっと庶民的で昔の東京を想像できるような場所に行きたいと言うので、タクシーを拾って、『新宿ゴールデン街』に案内することにした。
区役所通りから少し入り、老舗のストリップ劇場の前で車を降り、『街』の正門の向こう側に足を踏み入れたとたん、リカルドが驚いた。
「これはすごい! 何か別の世界への入り口にいるみたいですね。さっき乗ったタクシーはタイムマシーンですか」
リカルドの希望で、最初に『街』を見て回ることにした。輝くネオンと長屋風に連なる飲食店を見て声を上げ、無邪気に喜んでいる彼の姿は、明るく陽気なラティーノ(ラテンの男)そのものだ。
一通りの見学のあと、「おふくろの味」を売り物にしている小料理屋風の店に入り、狭いカウンター席に二人で肩を並べて座った。
リカルドには、古き良き時代の定番だったというキリンのラガービールを勧め、私はいつもどおり、焼酎のホッピー割りを注文した。
再開を祝して乾杯したあと、お通しの肉ジャガを口にしたリカルドがまた感激した。
「これ、美味しいです! ブラジルでママイ(ママ)が作ってくれたのと同じ味がします」
「きっと、リカルドのママは、日本から行ったおばあちゃんから教わったんだろう。私と違って、『おふくろの味』を知ってる君がうらやましいよ」
リカルドの幸せそうな顔を見てこちらも嬉しくなり、私の分もよかったらと勧めると、彼は涙を浮かべてお礼を言い、ぺろりとたいらげた。純情で憎めない男だ。きっと、亡くなった母親を懐かしがっているんだろう。
リカルドは好き嫌いがなく、何でも食べるというので、店の女将にお勧め料理を適当に出してくれるように頼んだ
「ところで、一人になってから、生活の方はどうだい」
「実は、アナが死んでから、毎日寂しい思いをしています。夜仕事から帰っても、アパートに明かりは点いていないし、部屋の中は朝出た時のままで、何か、そこにあるはずのものがないという感じで・・・」
「その気持ち、なんとなく分かるな。部屋に飾った花でも、数日後に枯れてなくなったら、そこにポッカリ穴が開いたように感じるから、数ヶ月とはいえ、一緒に暮らした美しい奥さんがいなくなればなおさらだな」
「まさにそういう感じです」
「それから、仕事の方はどうなの」
「相変わらずです。確かに金は稼げますが、単純労働で技術は身に付かないし、職場の日本人とは個人的にあまり付き合いがありません。一緒に働いているフリーター君は、今の日本では、汚い職場で汗まみれになって働くのは、一番ダサい生き方だと言っています」
「最近は、『ヒルズ族』みたいな生き方にあこがれる奴が多いからな」
「『ヒルズ族』って何ですか」
「前に、奥さんのことで六本木に行った時、そこに建っている高いビルを見なかったかい? ああいうところで働いたり住んだりしている連中だよ。インターネットを使ってうまく金を儲けるから、IT時代の『勝ち組』とか言われてるよ」
「いつかフリーター君が、僕たちは『負け組』だとか言っていました」
「人生は、何が勝ちで何が負けかなんて分かんないよ。金や地位を手に入れれば、必ずハッピーになれるわけじゃないし・・・。ところで、そのフリーター君だけど、どうしてる?」
「忘れていました。大ニュースです! どうも、彼女ができたみたいです」
「えっ、嘘だろー!」
「その彼女というのが、ブラジルと日本の混血のすごくかわいい子です。まだ10代だと思います」
「日本の引きこもり男が突然ラティーノに変身か? そいつ、どうやってブラジルのガロータ(若い娘)を捕まえたのかな」
「彼は、捕まえたのではなくて、捕まったのです。先週の月曜日だったと思いますが、職場の近くのコンビニの横にある広場で、ちょうど目撃しました・・・フリーター君がいつもどおりヘッドフォンを聴きながら弁当を食べていると、その広場でラジカセの音楽を聴いていたその子が、何を聴いているのとか言って、彼に声をかけたんです」
「さすがはブラジレイラ(ブラジルの女)、積極的だね」
「フリーター君は、最初は戸惑っていましたが、女の子が彼のヘッドフォンをつけて踊り出したのを見て、彼も彼女の動きに合わせて踊り始めました。僕も、たまたまその場にいた職場の人も、びっくりしましたよ。フリーター君は、いよいよ頭がおかしくなったのかと思いました」
「ガロータが日本男児のハートに火をつけたんだ」
「フリーター君とガロータは、二人ともJポップとかラップが好きで、すっかり意気投合したみたいです。この頃は、昼休みや午後の休憩時間に広場で逢って、ラジカセの音楽に合わせて、ヒップホップとかストリート系のダンスを踊っています。二人とも、周りに見物人が来るくらい、カッコよく踊れます。実は、この間コンビニの前からフリオさんに電話した時も、仲よく踊っていました」
「そう言えば、なにか賑やかな音楽が聞こえたよ。フリーター君も、やっと人生で勝ちだしたじゃないか」
「いやー、でも、フリーター君がダンスが得意だなんて驚きましたよ。彼に聞いたら、毎週日曜日は東京に出てきて、どこかの公園で仲間たちと踊っているらしいです」
「リカルドのサッカーにも、フリーター君のダンスにも驚いたよ。人は見かけによらないね。人間、誰にもなにか取り柄があるんだ・・・」
自分の話がオヤジ臭くてクドクなっていくのを感じた。酔いがまわってきたみたいだ。完全に酔っぱらう前に、リカルドに話すべきことを話そうと思った。
「ところで、君から頼まれた件だけど・・・」
【第12話】に続く