小説 ある日曜日(Um Dia de Domingo)
【第16話】
その夜は、頭が冴えて、ほとんど眠れなかった。思い切って早起きして、『強制送還』というキーワードでネットサーフィンすると、入国管理局のホームページにたどり着いた。
『法務省入国管理局では、“ルールを守って国際化”を合い言葉に出入国管理行政を通じて日本と世界を結び、人々の国際的な交流の円滑化を図るとともに、我が国にとって好ましくない外国人を強制的に国外に退去させることにより、健全な日本社会の発展に寄与しています』
役人らしい、長ったらしい文章だ。要するに、不良外人は日本の敵ってことか。それで?
『不法残留(オーバースティ)等をしている外国人は、入国管理局に身柄を収容の上、手続きがとられ、日本から強制送還されることになっています。また、強制送還後、5年間(事情によって10年間となる場合もあります。)は日本に入国することはできません』
5年または10年間は日本に入国することはできない! すると、強制送還された外人が、すぐにまた入国したければ、不法入国するしかないわけだ。
ソファに座り、いつものケニーGをBGMにして、「木村屋コーヒー」を飲みながら思索にふけっているうちに、リカルド田中の「妻」の死亡事件について、ある仮説を思いついた。
気がつくと時間が経ち、昼近くになっていた。その日も秋晴れのいい天気なので、気分転換するため、朝刊をもって外に出た。青山通りから神宮外苑につながる銀杏並木通りを散歩して、お気に入りのイタリアンレストランに入った。
10月半ばで、紅葉のシーズンにはちょっと早いが、日陰のオープンテラスに座ると、冷えて乾いた空気に秋の深まりを感じた。
ウエイターにデザートとコーヒー付きのランチ・コースを注文したあと、ケータイを取り出し、ゆうべ新宿で別れたジュリアーナに電話したが、なかなかつながらなかった。
「ボン・ジーア(おはよう)! 寝てるとこ、起こしちゃったみたいだね?」
「あ~、フリオか。今どこにいんの」
「近所の定食屋で、昼メシを食べるとこだ」
「フリオんちのそばに、そんなとこ、あったっけ? で、何か用?」
「今日は何すんの?」
「何って、久しぶりの休みだからさー、部屋掃除して、山みたいにたまった洗濯して・・・」
「その前に、もう昼だから、君んちのそばの韓国レストランに行って、腹ごしらえしてくんないかなあ。夕べ、前を通った店だよ」
「また、何で?」
「レストランの隣のぼろアパートに住んでたっていう、ほらっ、南米帰りの実業家とかいう男。そいつについて、何か知らないか、レストランの人に聞いてみてよ。実名を出してもいいから・・・」
「あたしー、にんにくの匂いとか、キムチとか苦手なんだよね。それに、ああいう店って、女一人で入りにくいよ」
「だったら、日本のすき焼きに似た『プルコギ』っていうのを、定食で頼むといいよ。臭くも辛くもないし、野菜がたっぷり入って健康的だし。それと、一人なら、カウンター席に座って、酒に一品料理でもいいね。『マッコリ』っていう、白く濁った韓国の酒がお勧めだよ」
「お酒は、もういいや。ゆうべのチョー高級カクテルのおかげで、頭ガンガンしてるよ。ご飯食べて、フリオに頼まれたこと聞いたら、すぐ帰ってくる」
「急に悪いね。今度、青山の素敵なレストランで、ランチをご馳走するから。紅葉の季節には最高のとこだよ・・・」
新聞を読みながら、一人ゆったりした気分でランチを楽しみ、デザートのティラミスを食べて、最後にエスプレッソコーヒーを味わっていると、午後1時を過ぎた。次は、あの男に「追加取材」だ。
木村屋コーヒーに電話すると、運よく社長は在席中で、すぐにつないでもらえた。
「急にすみません・・・」
「いえいえ、お気になさらず。どうされました」
「実は、先日の取材をまとめたんですが、うちの編集長が、社長がブラジルに行かれた時のことを、もう少し詳しく書けって言うもんですから・・・」
「それなら、喜んでお応えしますよ。どういったことですか」
「まず、社長がパラナ州のコーヒー農家を訪れたのは、どなたかの紹介があったんでしょうか」
「日本で事前に紹介してもらった現地の韓国人に、クリチバにある、州の有機農業協会の事務所に連れて行ってもらいました。その事務所の人たちには、滞在中ずっとお世話になりました。まあ、先方も、商売熱心でしたけど・・・」
それから、どうでもいいことも含めていくつか質問し、区切りのいいところで、丁重にお礼をして、電話による「追加取材」を終えた。
それにしても、その日の木村氏の声のトーンは、ハイでも鬱でもなく、いたって「正常」だった。
次は、ブラジルのアミーゴ(友達)に電話しようかと思ったが、向こうは夜中の1時か2時。帰って、メールすることにした。
外で気持ちのいい時間を過ごして、マンションに帰ると、さっそくサンパウロのセルジオ金城に、日本での調査状況を報告し、ブラジルでの「追加調査」を依頼した。
「重要!」のマークを付けた長いメールを送ったあと、ソファで休んでいると、ケータイが、ジュリアーナから電話だと知らせてきた。
「あっ、あたし。行ってきたよ」
「ずいぶん早かったね」
「ほとんど隣の店だし、あんなとこ、女一人で長くいれないからさー」
「で、どうだった?」
「店のオーナーらしいオヤジに、隣のぼろアパートに住んでいた『キムラ』さんっていう人、探してるって言ったら、ずいぶん前に引っ越したんだって。商売がうまくいって、今は、西新宿の何とかビルに入っている会社で、社長してるって。前は、よく店に来たらしいけど、偉くなってからは、ほとんど顔を出さないって」
「ありがとう。それだけ分かれば十分だ」
「それから、フリオが何調べてるか知らないけど、ちょっと前にも、昔の恋人らしい外人の女が、同じことを聞きに来たって言ってたよ。あたしも、元カノみたいに思われたかもね」
期待もしていなかった貴重な情報が、突然もたらされた。ジュリアーナには、早くお礼をしなくてはと思った。
「今の情報は値千金だ。で、ランチはいつがいい?」
「ランチじゃなくて、あの店、夜、誰かと行って、お酒でも飲みながら食事したいなー」
「『あの店』って、まだ行ってないよね」
「韓国オヤジの店だよ」
「えっ、そっちか。気に入ったの?」
「うん。韓国風のすき焼き、家庭的で美味しかったよ。また一人で行くのはやだけどさー、フリオと一緒に、何んとかっていうお酒飲んで、話でもしながら食べたら、もっと美味しい気がする。あたしー、気取った店より、ああいう庶民的なのが好きなんだよねー。店のオヤジも、息はにんにく臭くてやだけど、話はケッコーおもしろいしさー・・・」
「よし! じゃ、約束するよ。来週だな」
前の晩に巨額の投資をして入手した情報をきっかけに、私の頭の中で、サンパウロと群馬と新宿が、何となく一本の線でつながった。六本木とつながる線については、もうあの男に直接聞くしかないのかなと思った。
そんなことを考えているうちに、午後3時を過ぎ、今度は、リカルド田中がケータイにかけてきた。職場は休憩時間に入ったらしい。
「こんにちは、リカルドです。お世話になっています。お忙しいところすみません」
電話で、きちんと挨拶し、まず自分の名前を名乗るところは、さすが昔の日本流の礼儀をわきまえた日系人だ。リカルドの言うとおり、私は、その日めずらしく忙しかった。
何か分かったことがあれば、日曜日ではなく、土曜日に聞きに来たいそうだ。公衆電話の向こうから、ラップとかいう音楽が聞こえる。例のフリーター君とガロータ(ブラジルの女の子)が、またカッコよく踊ってるみたいだ。
「いやー、ずいぶん情報が集まって、今整理してるところだよ。ところで、日曜日のサッカーは、昼までに終わるのかなー? よかったら、私がそっちに行くよ。一緒に昼メシでもどうだい。私も、たまには南米の雰囲気を味わいたいから・・・」
リカルドと話し終わると、急に睡魔が襲ってきた。前の晩は、ほとんど寝てなかった。一人暮らしの悪い癖で、例によってソファに横たわり、そのまま爆睡してしまった。
何時間寝ただろう? いつの間にか夜になり、明かりのついていない部屋の中で、ケータイが光りながら鳴っているのに気づいた。やっと手を伸ばして出ると、礼儀をわきまえない若い男の声がした。
「あっ、オレだよ。オレ・・・」
おっ!これは、今はやりの『オレオレ詐欺』か?
「オレ、今度、結婚することにしたよ・・・」
さては、結婚資金を振り込めということか?
「相手の彼女連れて、クリスマス休暇に日本に行くよ」
何と! カリフォルニアにいる息子からの電話だった。中国系のアメリカ人女性と婚約したらしい。
息子は、親元を離れて独立してからは、仕事や仲間との付き合いが忙しいらしくて、時々しか連絡をくれない。でも、今年の年末は、新しいメンバーを加えて、久々に「家族で過ごす楽しいクリスマス」になりそうだ。
人生で、「幸せ」って何だろう? よく分からないけど、亡くなった妻と二人で過ごした恋人時代と新婚時代、それから、息子が生まれてから数年の間に感じた「何かほんわかとした気分」が、ひょっとして「幸せ」の正体かもしれない。
家族三人で仲良く過ごした古き良き時代を夢見て、再び眠りにつくと、またケータイが鳴り出した。寝ぼけた声で応えると、また出た!
「あっ、オレだよ。オレ・・・」
さっきと違って、いかにもガラの悪そうな男の太い声。今度は、間違いなく『オレオレ詐欺』だと直感し、思わずケータイに怒鳴った。
「いい加減にしろよ!」
「・・・それはないだろう。そっちが頼んでおいて。重要で、急ぎだっていうから、電話してるんだよ」
何と! サンパウロのセルジオ金城からの国際電話だった。まずは、平謝りして、話を聞いた。
「いやー、実にタイミングがいい。今、例の移住100周年の準備会合の会場にいるんだが、たまたま、お隣のパラナ州から来てる仲間が、その有機農業協会とかいうとこの理事をしてるって言うんで、聞いてみたよ。木村さんのことは知ってた。それから、アナ・バロスという女。その協会の職員だったそうだ。今年の6月に辞めて、今、サンパウロにいるらしい。これから会議が始まるから、詳しくはあとでメールするから・・・」
【第17話】に続く