小説 ある日曜日(Um Dia de Domingo)

 

【第17話】

次の日曜日の朝、私は中古で手に入れた日産・サニーを運転して群馬に出かけた。日本では製造中止になっているサニーは、南米では「セントラ」とか呼ばれ、その経済性から最も人気のある大衆車のひとつだ。

首都高速から東北自動車道に入ると、『木村さんとアナは、かつていい仲だったらしい』という、セルジオ金城からのメールの一文が頭に浮かんだ。

アナが、かつて木村氏の恋人だったとすると・・・。

いろんなことを考えながら館林インターを降り、国道354号線を高崎方面に直進しているうちに、ポルトガル語やスペイン語の看板がぽつぽつと見えはじめた。リカルドの住む工業団地はすぐそこだ。

日曜日で道が空いていたため、予定の時間より早く、待ち合わせ場所の日系人が経営するスーパーに着いた。そこにも木村屋コーヒーの自動販売機が置かれていた。

 

コーヒーを飲みながら待っていると、約束の午後1時ちょうどにリカルドが現れた。時間の正確さは「日本人」並みだ。

「今日はわざわざすみません」

「気にしないでいいよ。好きで来たんだから。この町に来ると、何か、また南米に行ったような気分になるよ」

二人とも腹が減っていたので、近くのブラジル料理のレストランに入った。中はほぼ満員だったが、誰もこちらに視線を向けない。彼らも私たちと同じく「外人」らしいと思いきや、店の中ほどの席に座っている家族連れらしいグループがこちらを見ている。

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「あれっ、例のフリーター君ですよ。今日は、東京に踊りに行かなかったのかな」

そう言えば、そのグループの席に、一人だけ日本人らしい若者がいる。長年の経験と勘から、雰囲気だけで日系人でないことがわかる。あとのメンバーは家族で、日系人の父親、イタリア系らしいブラジル人の母親、中学生くらいの男の子。フリーター君の隣には、なぜか、かわいい高校生くらいのガロータ(女の子)が座っている。

「ひょっとして?」と思ったところで、リカルドが、まずフリーター君を紹介してくれた。

「はじめまして、○○と申します。田中さんにはいつもお世話になっています」

名前はよく聞き取れなかったが、立ち上がって丁寧に挨拶をし、年上の同僚を立てるところは、そこらの若者よりよっぽど礼儀正しい。

引きこもりどころか、こいつは結構まともなヤツじゃないかと思いつつ、続けて立ち上がったガロータに、南米流に頬を付け合う挨拶をしたとたん、彼女の全身から発散されるフェロモンにあてられ、思わず目まいがした。

上着を脱いで、袖なしTシャツにGパンの気取らない格好をしたガロータは、アドリアーナという名前で、17歳。その町にある、ブラジル人向けの高校に通っているらしい。

かわいい笑顔とすらりと伸びた手足は、健康的で爽やかなイメージそのもの。この年頃の女の子は、こうじゃなくちゃいけない。この間、渋谷の街で見た、やけに短いスカートをはき、パンツを見せながら地べたに座っていた、不健康で退廃的なイメージの日本の女子高生たちとは大違いだ。

続いて、ガロータの両親に挨拶。初めて会っただけで、子供の教育としつけをきちんとしている夫婦だと感じた。

男も女も、恋することを生きがいにしている南米だが、カトリックの影響もあって、年ごろの娘を厳しくしつける家庭も意外に多い。娘に男友達ができた時は、しばらくは二人だけで外出させず、家族の誰かが「監視役」でついて行くような習慣も残っている。

「彼、ガロータに会ってから、ずいぶん変わりましたよ。自分から挨拶したり、話したりするようになりましたから」

「フリーター君、自分の周りに、心を開いて付き合える仲間が欲しかったんじゃないか。そんなところに、たまたま現れたのが、日本人じゃなくて、ブラジルから来たガロータだったわけだ」

一番奥のテーブルに座って、自分でもよく分からないようなことを言っていると、店の日系人オーナーが注文を取りにやって来た。

私は、せっかく来たので、ブラジルの代表的な料理フェジョアーダを注文した。フェジョンという黒豆と豚肉を長時間煮込んで、白いご飯に混ぜて食べる料理だ。

リカルドは、若いのと、午前中サッカーをしてエネルギーを使ったので、シュラスコ(ブラジル風焼き肉)の盛り合わせを注文した。

飲み物は、私は車で来たのでガラナ(ブラジルで人気の炭酸飲料)を、リカルドはブラジルの代表的な銘柄である「ブラーマ」のビールを頼んだ。

飲み物が来たところで、例によって「サウージ(乾杯)!」し、雑談を続けた。

「週末は、サッカーを教えたり、楽しそうだね」

「おかげさまで。あっ、それから、昨日の午後は、サンバの練習をしましたよ」

「また、何で?」

「来月の3日は『文化の日』とかいって、休みらしいですが、いつもサッカーをしているところで、ブラジルの文化を紹介するお祭りが開かれるんです。日系人の仲間から、一緒にサンバを踊ってくれって頼まれました。会社の日本人の上司の人も招待してるんですが、来てくれるかどうか・・・」

「へー、リカルドがサンバをね?」

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「僕も、一応ブラジル人ですから」

「おっと、そうだったな」

「それから、フリーター君とガロータも、ステージでヒップホップを踊ります」

「そりゃ、あんまりブラジルらしくないな」

「フリオさん、ちょっと古いですよ。ガロータに言わせると、ボサノバとかサンバというのは昔のブラジルのイメージで、今のブラジルの若者は、もっと現代的でポピュラーな音楽が好きなんです」

「なるほど。そう言えば、日本でも、若者の間では、演歌や歌謡曲なんかより、Jポップとかラップとかいうのが流行っているみたいだね」

「そうなんです。今では、日本の若者もブラジルの若者も、同じような音楽を聴いて楽しんでるんです」

「要するに、文化のグローバル化ってことだな・・・」

 偉そうに文化論を語っているうちに、メイン料理が出てきて、二人とも、いよいよ本題に入る気になった。

「では、フリオさん、お話を聞かせていただきますか」

「まあ、あまり驚かないでくれよ」

私が、「エル・パライーソ」で法外な料金と引き換えに得た情報を、要約しながら話している間、リカルドは、もくもくとシュラスコを食べながら黙って聞いていた。

「で、現時点での私の推測だが・・・」

シュラスコで一杯になったリカルドの口の動きが止まった。

「君が結婚したのは、きっと、アナと名乗っていたカロリーナだよ・・・」

 リカルドの目が白黒し、ビールを一口飲んで、のどに詰まった物を体の中に流し込んだ。

「君の奥さんが、前に日本にいて、ブラジルに強制送還されたカロリーナだったと仮定すると、すべて辻褄が合うんだ」

「でも、どうやってまた日本に・・・」

「そいつは、すごく簡単だよ。カロリーナは、姉のアナが作ったパスポートを貸してもらって、自分はアナになりきり、君と結婚して、また来日したんだよ。双子で、顔と背格好がほとんど同じっていうとこがカギだな。きっと、ブローカーの守屋っていう奴の悪知恵だろう」

「でも、すごくリスクがありますよね」

「そりゃもう。ブラジルを何とか出国しても、日本の入管は、強制送還したカロリーナの写真や指紋を情報としてもってるからね。でも、外人が日本に入国する時は、指紋は取られないし(2005年6月時点)、カロリーナ・サントスとアナ・バロスじゃ、名前も苗字も違うから、もし怪しまれても、よく似た外人だなと思われるくらいだよ」

それから、二人とも、ほとんど無言でランチを続けた。リカルドは、何かを考え、そして思い出している様子だった。

そんな雰囲気で食事をしていると、二人ともメイン料理だけで腹が膨れてしまい、休日の南米のランチには付き物のデザートは抜きにして、食後のカフェジーニョ(小さなカップに入ったブラジル風の濃いコーヒー)だけを頼んだ。

注文を取りにきた店のオーナーは、はじめは陽気に話していた二人の男が、デザートをスキップして深刻な顔をしているのを見て、肩をすくめ、心配そうな顔をしてカウンターの向こうに戻って行った。

すぐに出てきたカフェジーニョに砂糖を一杯入れ、そのままかき混ぜずに一口すすると、リカルドはため息をつき、よくやく口を開いた。

「フリオさんの話を聞いて、いろいろなことが分かりましたよ。僕の妻、つまりカロリーナが、入国審査の時ひどく不安そうだったのは、前回の強制送還に懲りずに、今度は不法入国しようとしたからだ。日本で生活するコツを知っていたのは、前に暮らしたことがあるから当然だし、彼女が死んだあとに、守屋さんや母親役の女性が急によそよそしくなったのは、自分たちがグルになってしたことがばれるのが怖かったからだ。僕も結果的に、彼女の不法入国の手助けをしていたわけだ・・・」

「それから、君たちが男と女の関係になった、九月二日だけど」

「妻の母親の誕生日? あっ、そうか。その日はカロリーナの息子の誕生日ですね。彼女は、その日の夕方ブラジルに電話をしたと言ってましたから、きっと息子の声でも聞いてうれしかったのでしょう。ケーキに立てた三本のろうそくは、息子の三歳の誕生日という意味だったんですね」

「それから、ちょっと立ち入った質問をするけど、奥さんといい仲になった時、子供を産んだ体だとは思わなかったかい? 帝王切開の手術跡とかには気付かなかった?」

「前にも言いましたけど、彼女は、僕が知っている唯一の外人の女ですし・・・」

「外人の女の体は、そんなものだと思ったの?」

「いいえ、実はすごく興奮してたので、妻の体の細かい部分までは覚えてません。普通外人の女は、子供を生んだ後はすごく太りますが、彼女の体は仕事帰りに運動をしているせいか、引き締まってましたし・・・。あっ、そう言えば、彼女と一緒になった時、それまで経験したことがないような・・・何か母親的な癒しを感じたような気がします」

「やっぱり・・・」

【第18話】に続く

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