小説 ある日曜日(Um Dia de Domingo)
【第18話】
「僕からもフリオさんにお話ししたいことがあります」と言って、リカルドはさっさとレジに行き、二人分の勘定をまとめて支払っている。私は、そこは南米みたいだから、チップを置かなくていいのかなと思いつつ、急いであとを追った。
フリーター君とガロータのファミリーのテーブルは、笑い声で盛り上がっていたが、深刻そうな顔をしたリカルドに気づくと、皆心配そうな顔をしたので、私の方から元気な声で、「アテ・ローゴ」(またね)と声をかけた。
レストランを出て、南米にある日系移住地のメインストリートみたいな通りを歩き、狭い通りを入って行くと、リカルトのアパートにたどり着いた。
「○○ハイツ」という看板が掛った建物は、先週、大久保で見た、キムラ氏がかつて住んでいたというぼろアパートに雰囲気がそっくりだ。外観と広さだけを比べると、サンパウロの低所得者向けに建てられた公営住宅の方がましだ。
アパートの中は、きれいに整えられていた。リカルドに促されて、台所兼居間にある二人用のテーブルの小さな椅子に腰かけた。粗大ゴミ置き場から、カロリーナと一緒に調達してきたという、例のテーブルセットだ。
台所には、日本に来てすぐ、カロリーナが要領よく手に入れたという電子レンジと冷蔵庫が置いてあった。お湯を沸かして、冷蔵庫から何かを取り出してゴソゴソやっているリカルドの隣に、少し前まで一緒に暮らしていたカロリーナの姿を想像してみた。
カロリーナの持ち物は、ほとんどサンパウロに送り返したみたいだが、ブラジルで「親子」三人で撮った写真はまだテーブルの上に立ててあり、その横には「妻の形見」らしい指輪が置かれていた。手にとってよく見ると、裏側には、「リカルドから『アナ』へ、愛をこめて」と書かれていた。
リカルドが、コーヒーとデザートのプリンをテーブルに持ってきた時、彼の左手を見ると、この間会った時には気づかなかったが、まだ「結婚指輪」がはめられていた。
「さっきはデザートを頼みませんでしたから、自家製のプリンでもどうですか」
さすがは南米人。やはり、デザート抜きではランチは終わらない。一口いただくと、こってりした甘さに卵の黄身の風味が舌に残り、いかにも南米流の自家製プリンという感じだった。続いていただいたブラジル製らしいインスタントコーヒーの方は、木村屋コーヒーと比べると、正直言ってまずかった。
「このプリンいけてるよ! リカルドが作ったの?」
「実は、妻から、毎週日曜日に、料理とかデザートの作り方を教わっていたんです」
「そうか、奥さんの味か・・・。あっ、何か、君から話があるって言ったよね」
「実は、フリオさんの話を聞いて・・・、ようやく自分が騙されていたことに気付きました。でも、二人の出会いがどうであれ、カロリーナと一緒に過ごした日々は、本当に楽しかったです。騙されていたとはいえ、僕は、彼女が最後の晩に言った・・・『リカルドとこのままずっと結婚生活を続けられたらいいな』という言葉は、嘘だったとは思えません」
「そりゃ、たぶん嘘じゃないよ。偽装結婚した時はともかく、日本に来てからは、カロリーナも君のことを、本当の夫みたいに頼りにしてたと思うよ。たぶん、彼女は、君みたいな男と『正式に』結婚して、できれば子供も産んで、平凡でもいいから家族が仲良く暮らす家庭を作りたかったんじゃないか。今、日曜日に一緒に料理をして楽しかったって言ったよね。私は、人生の『幸せ』って、そんなものじゃないかと思うよ。金とか社会的な地位を求めても幸せにはなれないけど、そんなものを求めないと、幸せなんて、意外と身近なところにあるって気づくんだよな・・・」
その日は、酒を飲んでいないのに、悪い癖で、また偉そうなことをうそぶいていた。純真で人を疑わないリカルドは、素直に聞いてくれて、納得したような顔をした。
「ところで、ペドロという子の母親が、私の『妻』、つまり死んだカロリーナだとして、父親が『ケン・キムラ』という人だとしたら、その人は今どこにいるのでしょう。それから、カロリーナが、すごいリスクを冒してまで、また日本に来た理由や、なんであんな死に方をしたかについては、今だに分かりません」
「実は、そのキムラっていう男については、100パーセントじゃないが、かなり目星が付いてるよ。まあ、これは偶然中の偶然だったけど・・・。今週、もう一か所調査してみて、あとは、その男に直接聞いてみるよ」
「またお世話になりますが、よろしくお願いします」
「いや、私もこの件については、個人的に興味をもってるんだ。何か新しいことが分かれば、また、こちらから連絡するから。リカルドは、サンバの練習がんばってよ。会社の偉い人も見に来てくれるといいね」
「はい。ブラジルのいいところを見せられるようにがんばります」
群馬からの帰り道は、休日の夕方のラッシュにぶつかった。料金所の手前で渋滞にはまっていると、また、セルジオ金城からのメールが頭に浮かんだ。
「この間見かけた、マンションのプレイロットでの光景だが、ペドロと遊んでいたのは、母親のカロリーナじゃなくて、クリチーバから出てきたアナだ。カロリーナと同じ顔をしてるが、実の母親じゃないから、ペドロがあまりなつかないわけだ」
アナは、死んだカロリーナに代わって、サンパウロでペドロを育てている・・・。
青山の自宅に帰ってからは、あの男にどうやって話を切り出そうかいろいろ考えて、その夜はよく眠れなかった・・・。
その週の水曜日の晩は、ジュリアーナを誘って、約束通り、大久保の韓国料理のレストランに行った。ジュリアーナは口当たりのいいマッコリ以外の韓国酒も気に入り、調子に乗って何杯も飲んでいるうちに、すっかり酔っぱらい、眠ってしまった。
客が少なくなった時間帯に、店のオーナーにそれとなく聞いてみると、実によくしゃべってくれた。
「・・・そうですね、来られたのは、確か、9月の最初の頃でした。あの外人のベッピンさん、どこかで見たことがあると思ったけど、話しているうちに、前によくキムラさんと来てた人だって思い出しました。3年ぶりに外国から来られたって言うんで、キムラさんの会社の場所だけ教えてあげましたよ」
「西新宿の、木村屋コーヒーが入っているビルですね」
「そうです。ところで、お客さん、キムラさんとは、よく会われるんですか」
「ええ、時々。仕事でちょっと付き合いがあるもんですから」
「じゃ、今度会われたら、よろしくお伝えください。キムラさん、大久保にいたころはよく来てくれましたが、西新宿に引っ越してからは、あまり来てくれませんよ。最後に来たのは、もう1年以上前かな。まあ、偉くなって忙しいし、住む世界が違うから、もうこんな店、来れないかもしれませんね」
「キムラさん、外人の彼女とはうまくやってたんですか?」
「いやー、あの頃のキムラさんは、本当に元気で、楽しそうでしたね。何か、会社が大きくなって、有名になる度に、顔色が悪くて、口数も少なくなっていくような気がして、心配してましたけど・・・。でも、最近は、婚約されたなんてニュースも聞きましたから、きっと、元気なんでしょう。昔の彼女がどうしたなんて噂がたったら、迷惑でしょうね
オヤジの話を聞き終え、「ケン・キムラ」とは、木村屋コーヒー社長「木村健」だと確信した。
店の手伝いをしているオヤジの娘さんの手を借りて、酔い潰れたジュリアーナを近くのマンションまで送ったあと、大久保から西新宿まで歩くことにした。JRの大ガードをくぐりながら、同じ道を通って木村氏を捜しに行ったかもしれないカロリーナの姿を想像した。
次の日は、昼近くになって、考えていたことを実行に移した。
木村屋コーヒーに電話をすると、すぐに社長につないでもらえた。私は、先日の追加取材のお礼と、次の日曜日の新聞に記事が載ることを伝えてから、単刀直入に、カロリーナというブラジル人女性について、心当たりがないか聞いてみた。
「私、今は暇なんで、ボランティアで外国人の身の上相談をしてるんですが、カロリーナさんっていう人から、お子さんの父親探しを頼まれましてね。『ケン・キムラ』っていう情報しかないんですが、もしかしたらと思いまして・・・。そのお子さんっていうのは、この間、三歳になったばかりの男の子で、今は、サンパウロで元気に暮らしてるんです。ところが、依頼人のカロリーナさんが、不幸にも日本で亡くなりましてね。代わりに、何とか父親を捜してやりたいんですよ。親が二人ともいなくなったら、その子、かわいそうですからね・・・」
電話の向こうの木村氏の沈黙が、何を意味しているか分かったので、話を続けた。
「あっ、人違いですね。大変失礼しました。なかなか分からなくて、いろんなところに片っ端から聞いているんですよ。たまたま、社長と名前が同じだったもんですから。また、他に当たってみます・・・」
最後通牒を出したところで、ようやく木村氏が口を開いた。
「実は、このところ、誰かがその件で尋ねて来る予感がしていましたし、尋ねて来て欲しいと期待もしていました。まさか、その誰かが、フリオさんだとは思いませんでしたが・・・。この間頂いた名刺では、フリオさんのお住まいは青山ですよね。今度の日曜日の午後に、マンションの契約の件で六本木に行きますから、その帰りにそちらにお伺いしてよろしいでしょうか。たぶん4時頃になると思います」
意外だった! 木村社長は、カロリーナとの関係をあっさり認めた。日曜日の遅い時間なら都合がいい。リカルドも呼んで一緒に話を聞こう。
【第19話】に続く