小説 ある日曜日(Um Dia de Domingo)

 

【第19話】

10月最後の日曜日の午後、リカルドは、午前中のサッカーの練習から早めに抜け出し、3時前に私の事務所にやって来た。

木村社長が来るまでの間、大久保の韓国料理屋で得た情報を伝えていると、約束どおり、4時ちょうどに木村社長が到着したので、リカルドと一緒に地下の来客用駐車場で出迎えた。

さすがは「ヒルズ族」を目指す社長、乗っている車はメルセデス・ベンツのSLクラス。たぶん、日産サニーの新車が10台くらい買える値段だ。服装も休日らしく、ストライプのシャツにラフなジャケットで決めている。

「今日は、わざわざご足労いただいてすみません」

「いえいえ。えーっと、こちらは?」

「リカルド田中さんです。死んだカロリーナさんの旦那さんです」

木村社長は一瞬うろたえた顔をして、リカルドに向かって深々と頭を下げて言った。

「本当に申し訳ありません」

「何が申し訳ないのか分かりませんが」と、リカルドはキョトンとして言った。

1階に上がり、私の部屋に入るなり、その雑然さに少々驚いた様子の木村社長に、まずはリラックスしてもらうことにした。

「まあ、社長、座ってください。コーヒーでもどうですか。いつも社長のところから買ってるやつですが」

「毎度ありがとうございます」

それから少しの間、木村社長の近況について尋ねた。11月の中旬には六本木ヒルズのレジデンスに入居し、12月には、何年ぶりかにブラジルに出かけて、コーヒー豆の輸入拡大について商談するそうだ。仕事の話をする時の木村社長は、クールで頼もしい経営者のイメージだ。

「ところで、社長、先日電話でお話したカロリーナさんのお子さんの件ですが、何かご存知ですよね」

 本題に入った途端、社長の顔は不安そうに歪み、目がうつろになった。

「それから社長、今日同席してもらったリカルドさんは、奥さんだったカロリーナさんが、何のためにまた日本に来て、なぜ死んでしまったのか、本当の理由を知りたがってます。社長もご存知かと思いますが、カロリーナさんのことについては、警察に調査を頼みにくい事情がありまして・・・、リカルドさんの依頼もあって、私たちの会が独自に調べてきました。今日社長からお聞きすることは、会の関係者以外には絶対秘密にするとお約束します」

木村社長は、コーヒーを一口飲んで落ち着きを取り戻し、意を決したように語りだした。

「9月初めの週末でした。リカルドさんの奥さん、つまりカロリーナが突然目の前に現れた時は、何年か前に、彼女に初めて会った時よりびっくりしました。その日は土曜日で、午後にたまたま仕事の用事を思い出して、西新宿にある自宅から事務所が入っているビルまで歩いて行くと、彼女が入口の前に立っていました」

「それは、9月3日の午後の、遅い時間ですよね。その日、カロリーナさんは、午前中働いて、旦那さんに『友達のところに行きます』とメモを残して、昼ごろに群馬の自宅を出ています」

「そう、確か、もう5時近かったですね。例の代議士先生の娘との婚約破棄の件でマスコミがうるさいので、私は最近帽子とサングラスで人相を隠していますが、彼女はこちらを一目見るなり、私だと見抜きました。カロリーナは再来日してから、私と連絡をとるために、大久保の前の事務所やアパートに何回か電話をしていたそうです」

「そうか、カロリーナが時々職場からどこかに電話していたという話を、彼女の仕事仲間から聞きましたが、木村社長を捜していたんですね」

リカルドは、一つ謎が解けたようだ。

「私は、住居と会社を引っ越して、電話番号も変えたので、連絡が取れなかったのですね。どうしても居所が分からないので、思い切って東京まで出て来たそうです」

「前の日は、子供の誕生日で、電話で元気そうな声を聞いて、どうしても父親を探さなければと思ったんですよ」

 リカルドから「子供」という言葉を聞かされて、木村社長はまたうろたえたが、とりあえず話を続けてもらった。

「で、カロリーナさんは東京のどこに来られたんですか?」

「まず、私が前に住んでいた大久保のぼろアパートに行って、もう私が住んでいないのを確認してから、昔二人でよく行っていたお隣の韓国レストランに行って、店長から私の会社の移転先を聞いて、西新宿まで歩いて行ったそうです。カロリーナとのことは、話せば長くなりますが・・・」

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「私の方は暇ですから、社長がよろしければ、じっくり話を聞かせてください」

それから木村社長は、ブラジルに行った頃の話を始めた。

「・・・クリチーバにあるパラナ州の有機農業協会の事務所を訪ねた時、そこで働いていたアナという若い職員と知り合いました。美しくて頭のいい女性でした。私がコーヒーの生産農家を訪ねる時はいつも同行して、英語とポルトガル語の通訳をしてくれました。彼女がいなかったら、現地での商談はまとまらなかったし、今日の私の成功もなかったと思います。アナとは、初めは仕事上の付き合いでしたが、だんだん個人的にも親しくなって、休日には必ずデートをするようになりました」

「社長を取材した時に言っておられた、あの『五番街』のセニョリータですか?」

「ええ、恥ずかしながら。アナは私と同じで、幼い頃に両親と別れて育ち、その当時は、育て親から独立して、一人でアパートを借りて住んでいました。彼女は、私の人生で恋人と呼べる最初の女性でした。実は、私はそれまで日本人女性とも親しく付き合ったことがなかったし、それどころか、私には幼い頃から気兼ねなく話のできる友人すらあまりいませんでした。アナと私は、育ちが似ているせいもあって、言葉の不自由さはあっても、お互いの心を理解し合うことができました」

「なるほど、それじゃ、初恋の人と出会ったブラジルは、今でも懐かしいわけですね」

「もちろんです。特に、緑が豊かでヨーロッパ的に洗練されたクリチーバは、私が知っている日本のどの町よりもきれいでした。アナといつも歩いた美しい街角や、木陰に連なる素敵なレストランやお店の風景が、今でも心に浮かびます」

しかしながら、二人の親密な交際は、いつまでも続かなかった。ブラジルでの商談がまとまり、木村氏は、かねてからの人生計画を実現するために帰国することを決心したからだ。

「アナと結婚して、彼女を日本に連れて帰ろうかとも思いましたが、帰国してからの自分の生活を想像すると、彼女を幸せにする自信がありませんでした。彼女もそこのところを分かってくれて、結局、私一人で帰国しました。それからの状況は、先日の取材でフリオさんにお話しした通りです」

「帰国されてからは、会社を興され、大久保のアパートに住んでおられた?」

「そうです。でも、帰国してからは、やっぱりアナを連れて来なくてよかったと思いました。南米の大地でのびのび育った人間は、ゴミゴミした東京の町では生活できませんから」

会社の経営がようやく軌道に乗り始めた頃、木村氏の生活に少し余裕が出てきた。

「帰国後しばらくすると、南米が懐かしくなりました。スケールの大きさだけでなく、向こうの連中のうらやましいところは、いつも人生を楽しく生きて行こうという姿勢で、地球の裏側から来た私のような外国人でも、一人の人間として受け入れてくれるような心の豊かさをもっていることです。日本は経済大国とか言っても、そこに住んでいる人間は、いつも何かに駆り立てられて不安そうで、他人を思いやる余裕すらなくして生きています。そんな時に、懐かしの南米を思い出させてくれるクラブが歌舞伎町にあることを知り、週末の夜に出かけるようになりました」

「『エル・パライーソ』ですね」

「フリオさんは何でもご存知だ。そこに通うようになって間もなく、『エバ』という女性に出逢った時は驚きました。アナと顔と姿がそっくりでした。彼女を指名して個人的に話してみると、彼女の本名がカロリーナで、アナの妹であることが分かりました。いつかアナが、サンパウロに双子の妹がいると言っていたのを思い出しましたが、まさか東京のそんな場所で会うとは・・・、世の中にそんな偶然があるのかと思いました」

【第20話】に続く

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