小説 ある日曜日(Um Dia de Domingo)

 

【第20話】

「エル・パライーソ」での偶然の出会いから二人の仲は急速に深まり、カロリーナにとって木村社長は、客の立場を超えて交際する唯一の男になった。

「アナの妹が水商売で働いていたことは、正直言って、少しショックでした。でも、あとで聞いてみると、いろんな事情があったことが分かりました。私はカロリーナを経済的に支援したくて店に通い続けましたが、そのうち彼女は、商売抜きで店の外で逢ってくれました」

木村社長と知り合った頃、まだ旅行会社の社員だったカロリーナは、研修旅行での見聞から、群馬や栃木など南米からの出稼ぎ人が多い地域にコーヒーの自動販売機を設置することを社長に提案した。カロリーナのアドバイスは的確で、木村屋コーヒーは北関東周辺で順調に売り上げを伸ばした。

「カロリーナのおかげで、何か心がウキウキして、仕事で嫌なことがあっても、彼女と会うと癒されてしまいました。ドリップ式のコーヒーバッグが爆発的に売れ出したのもその頃でした。アナと同じように、妹のカロリーナも私に幸運をもたらしてくれる女神でした」

「私の会の調べでは、カロリーナさんは、会社を辞めてからお店のレギュラーメンバーになって、ずいぶん稼いだみたいですね。木村社長もパトロンみたいな存在だった?」

「まあ、仕事がうまくいって少し余裕ができたんで・・・。実は、カロリーナと仲よくなるにつれて、彼女を独占したくなったんです。商売とはいえ、彼女が他の男と一緒にいるのを想像するのはつらくて・・・。金銭上の問題が解決したら、そんなところは辞めてもらいたいと思っていました」

「恋する男のその気持ち、よく分かりますよ」

「でも、ある週末の晩にエル・パライーソに行って、彼女が店を辞めたと聞いた時はショックでした。彼女から何の連絡もないので、私なりに調べたところ、ある筋から彼女がブラジルに強制送還されたことを知りました」

「なるほど、思いがけない別れだったわけですね。で、カロリーナさんと先月3年半ぶりに会われて、どうされたんですか」

「カロリーナには会社の用が終わるまで近所の喫茶店で待っていてもらい、そこから二人で近くの高層ビルにある眺めのいいレストランに食事に出かけました」

「お互い久しぶりに会われて、話したいことがたくさんあったでしょう」

「ええ、まあ。でも、話題の中心はこれでした」

木村社長は、ジャケットの内ポケットから折りたたんだ書類と一枚の写真を取り出して、私とリカルドに見せた。

「例の出生証明書のオリジナルですよ!」と、リカルドが驚きながら言った。

「この出生証明書の父親の欄は空白なので、カロリーナが自分で私の名前を書き入れたそうです・・・。この写真を見たとたん、涙が出ました。私と同じ輪郭の顔にカロリーナの目鼻が付いて、こいつは間違いなく私たちの子供だと思いました。カロリーナは、日本を追い出される前に私の子を宿していたのです」

「カロリーナさんは、木村社長にその子を認知してほしかったわけですね」

「カロリーナは、子供を育てるには、お金と同じように親の愛情が必要なことを知っていました。彼女は、自分の出生証明書の父親の欄も空白だし、母親の顔も覚えていないと言っていました。親の顔も愛情も知らずに育ったカロリーナは、自分の子供に同じような思いをさせたくなかったのです」

「私の調べでは、社長は新規事業が軌道に乗り出してから、新進事業家のパーティーで例の代議士先生と知り合い、それがきっかけでその娘さんと交際を始められましたね。カロリーナさんが強制送還されたのはその後ですよね」

何か言いたそうだったリカルドが口を開いた。

「社長は、カロリーナが妊娠したことは知っていたんでしょう。だから彼女が邪魔になった。ビジネスがうまくいって、偉い人の娘と結婚できるかも知れないチャンスが来たのに、不法滞在している外人の女を妊娠させたことが世間にバレたら都合が悪いですよね。社長、ひょっとして、カロリーナのことを入管に通報したのはあなたでしょう」

「それは・・・」

「まあ、それはどうでもいいですよ。誰が通報してもしなくても。社長、その先の話を聞かせてくれますか」

「カロリーナは私に、結婚してくれとか、金をくれとかの要求は一切しませんでした。彼女は、すでに日系人の方と結婚して幸せに暮らしているので、用が済んだらすぐに群馬に帰ると言っていました。彼女が私に伝えたかったことは、ペドロに父親としての愛情を与えられるのはこの世で私一人であり、ペドロがこれからの人生で私を必要とする時は、私なりのやり方で彼を助けてやって欲しいということです。私も親の愛情に恵まれずに育ちましたから、彼女が言いたいことはよく分かりました」

カロリーナの切なる願いを聞いた木村社長は、今度ブラジルに行った時には必ずサンパウロに寄り、公証役場でペドロの父親として登録をすることを約束した。今年に入ってから、生産拡大に伴いブラジルからのコーヒー豆の輸入を大幅に増やす必要があったため、ちょうど社長自ら現地に出向いて業者と商談しようとしていたところだった。

「なるほど、カロリーナさんが再来日したかった本当の理由がようやく分かりました。生きるにはお金が必要だけど、世の中には、親の愛情とか決してお金で買えないものがありますからね。で、カロリーナさんは、何であんな死に方をしたんですか」

「子供の話が一段落して、二人とも昔を思い出して楽しくやろうという気分になりました。私も例の婚約話がパーになって少し落ち込んでいましたから、昔の恋人に癒しを求めたい気分でした」

リカルドが、また興奮して話し出した。

「社長は、自分の都合で婚約者を捨てたのでしょう? もう何の役にも立たないと思って。カロリーナを捨てた時と同じだ。政治家の娘なら利用価値があるけど、ただのオヤジの娘じゃ、あなたにとって何のメリットもないですよね」

「いや・・・それはちょっと違います。正直に言うと、私自身は、先生の後ろ盾に期待していましたし、先方の家族も私の将来性に期待していると思っていました。でも、婚約解消を言い出したのは彼女自身です。彼女は、私から純粋な気持ちで愛されていないのではと思って、いつも不安だったそうです」

「なるほど。人間誰でも多かれ少なかれ打算的だけど、それだけじゃ生きていけないわけだ。で、カロリーナさんのことに話を戻すと?」

「新宿で食事をしたあと、六本木のディスコに出かけました。その夜は、彼女を群馬までタクシーで帰そうと思いました。外人がたむろするディスコのボックス席で飲んでいると、顔見知りのクスリの売人が声をかけてきました」

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「クスリって? 例の六本木で流行っているという、飲むと楽しくなるやつですか? 社長もやっていた?」

「実は、事業がうまくいって、ずいぶん金が入るようになりましたが、心の中は落ち着きませんでした。一生懸命働いて、運よく勝ち残りましたが、いつも不安だったんです。会社の株は下がらないかとか、ライバルが現れないかとか、お客さんのクレームへの対応とか・・・。いろんな不安を抱えて、その不安を振り払うために何かが必要だったんです」

「カロリーナさんがいた時は、そんな気分にはならなかったでしょう?」

「そう言えば・・・」

「でも、どうやってクスリを売る奴と知り合ったんですか?」

「六本木への進出を決めてから、若手の実業家たちのパーティーに呼ばれるようになりました。情報交換会とかいう集まりで、今流行りのIT長者も沢山いました。そんな会に出ると、二次会でよくディスコとかバーに誘われて、そこで勧められたんです。私も、好奇心から、つい手を出してしまいました。金というのは、持てば持つほど失うのが怖くなるみたいで、私にクスリを勧めたいわゆる『勝ち組』の連中も、みんな不安を抱えて生きていました。クスリが効いてる間は、そんな不安が吹き飛ぶんですよ」

「社長、もし勘違いしてたらすみませんが、先日取材でお伺いした時、やられてませんでした?」

「・・・お分かりでしたか。お恥ずかしい限りです。あの取材の前の週は、いろいろ仕事上のトラブルがあって、少しうつ状態でした」

「そう言えば、アポの確認で電話した時は、何か元気がなさそうで、相当お疲れだなと思いましたよ」

「でも、今はもう、キッパリとやめました。ちゃんと心療内科の医者にかかっていますし、同じ薬でも、医者が処方してくれるものを飲んでいます」

「社長、まさかそのクスリをカロリーナに勧めたんじゃないでしょうね」

私の代わりにリカルドが聞いてくれた。

「実は・・・、いつもの習慣で、軽い気持ちでクスリが入った袋を一つ買いました。まず、私が一粒飲んで、カロリーナには『エクスタシー』という飴だと説明して袋ごと渡しました。カロリーナは、新宿のレストランから飲み続けてだいぶ酔いが回っていたみたいで、何のためらいもなく酒と一緒にいくつか飲み込んで、残りは彼女の手提げバックにしまいました」

酒とクスリの相乗作用で完全に盛り上がった二人は、疲れを知らずに踊りまくり、カロリーナは群馬のアパートに帰ることをすっかり忘れてしまった。

「二人ともたっぷり汗をかいたところで、外の新鮮な空気を吸いたくなってディスコから出ました」

「それから?」

「二人で腕を組んで、六本木の街をさまよいました。どこをどう歩いたのかよく覚えていませんが、気が付くと麻布警察署の裏にある青空駐車場のあたりに来ていました。そして、その場所から私が目指している世界が見えました! 」

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【第21話】に続く

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