小説 ある日曜日(Um Dia de Domingo)

 

【第21話】

木村社長は、夜の街に輝く六本木ヒルズのビルを見上げながら、カロリーナに自分の夢について語り始めた。その顔は、優しい恋人から野心的な男に変わっていたに違いない。

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「私一人が話をしているうちに、腕を組んでいたカロリーナが、突然うめき声を上げてうずくまりました。倒れた彼女に声をかけても返事がないし、彼女の呼吸はだんだん弱くなっていきました。真夜中のその場所は人通りが少なくて、たまたま携帯を持っていなかったので、救急車を呼ぶために六本木通りまで走りました。二人でクスリをやったのを思い出して、警察署に駆け込むのはまずいと思い、六本木交差点の方に行くと、そこに公衆電話のボックスがありました」

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電話で救急車を呼んだあと、木村社長は酒の酔いもクスリの効果もすっかり醒めて我に返り、電話ボックスの中にうずくまった。

「不法入国した外人の女とクスリをやって、自分は一体何をしているのかと思いました。しばらくして救急車のサイレンが聞こえましたが、私はカロリーナが倒れているところには戻れませんでした。自分が今まで必死に築いてきたものが崩れてしまうのが怖かったんです」

リカルドが、今度は冷めた声で言った。

「結局、社長はいつも自分のことだけを考えて生きているんですね。だいたい、社長みたいなビジネスマンが携帯を持っていないのはおかしいですよ。携帯を使うと自分の番号が発信先として記録されるかもしれないから、まずいと思ったのでしょう。たぶん、怖くなってその場から逃げていく途中で、やっぱりカロリーナを見捨てられなくて、公衆電話から通報したんでしょう?」

「何と言われても仕方がありません。でも、それからは、カロリーナがどうなったのか気になって、夜も眠れず、またクスリの助けを借りるようになりました。何日かして、新聞でブラジル人の女性が六本木の路上で死んでいたという記事を見つけて、カロリーナのことだと思いました」

「警察の情報では、カロリーナさんは心肺機能が完全に停止していて、即死状態だったらしいです。ネットで調べたんですが、ディスコとかで踊って汗をかくと脱水症状みたいになって、クスリの血中濃度がかなり上がって、心臓発作や脳卒中を引き起こすこともあるそうです。最近では、カロリーナさんみたいに、クスリに過敏に反応する人が中毒死する事件がよくあるらしいです」

「自分を愛して子供まで産んでくれた女性に、何てひどいことをしたのかと思って、心の中でずっと苦しんでいます。日本に帰って仕事に追われているうちに、いつの間にか金儲けがすべてになり、自分さえよければいいような・・・心の貧しい人間になっていました」

「私がこんなことを言うのも何ですが、今回、仕事でいろいろお話をお伺いして思ったんですが、社長には、誰か心の支えになってくれる人が必要じゃないですか? それは、家族、友人、あるいは恋人かもしれませんが、身近にいて、社長のことを本当に愛して考えてくれるような人ですよ。私、社長より長く生きてきてようやく分かったんですが、そういう人間って、時には煩わしく思うこともあるんですが、大切にしなきゃいけないんですよね。その大切さに気付いた時には、相手はもういなかったりしますからね」

自分より若い人間と話すといつも出てくる、偉そうで説教じみた話がまた出たかと思って黙っていると、木村社長が反応してきた。

「フリオさんの言うことに同感ですよ。今思えば、ブラジルにアナを残して帰国したのは、アナのためというより、自分の都合のためでした。南米でアナが私を受け入れてくれたように、日本で私がアナを受け入れてあげればよかったんです。ひょんないきさつから、大久保のぼろアパートで妹のカロリーナと過ごし始めた頃は、仕事も生活も大変な時期でしたが、何か毎日楽しかったです。今思えば、そんな新婚生活をアナと送ることができたかもしれません」

「カロリーナさんは、ここにいるリカルドさんと『そんな新婚生活』を送っていたんですよ」

「カロリーナから聞きました。強制送還されたけど、ある日系人の方のおかげで、また日本に来れたと。何か不正な手段を使ったんでしょうが、結婚した旦那さんとの生活について語るカロリーナは、本当に楽しそうでした。お金がなくても、信頼できるパートナーと励ましあって生活できるのは幸せだと言ってました・・・」

リカルドは、いつの間にか黙り込んで何も言わなくなった。

「カロリーナと旦那さんには、本当に申しわけないことをしたと思っています。それから、カロリーナからペドロの居所を聞いてなかったので、今日こちらにお伺いすれば、何か情報が得られるかと思いました。カロリーナとの約束だけは必ず守りたいのですが・・・」

木村社長は涙ぐみながらそう言うと、私とリカルドに深々と頭を下げて出て行きそうになった。

「あっ、社長、忘れ物です。まずこの新聞。先日のインタビュー記事が載っています。それから、このメモ。サンパウロにいる息子さんの連絡先が書いてあります」

その夜、私は、サンパウロのセルジオ金城にメールを送り、事の顛末を知らせるとともに、それまでの情報提供についてお礼をした。

【第22話(エピローグ)】に続く

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