小説 ある日曜日(Um Dia de Domingo)

 

【第7話】

9月2日・金曜日の夜、リカルドは例によって日本人同僚の不手際の尻拭いをして帰宅すると、アナは、ごみ捨て場でもらった小さなテーブルにベージュのクロスをかけ、いつもより豪華なお惣菜と小さなケーキを用意して待っていた。

電気代の節約のため、二人そろってから使うことが暗黙の了解になっていたエアコンのスイッチもすでに入っていて、アナが好きなロベルト・カルロスのCDもかかっていて、いつもの台所が別の空間のように感じられる。まるで、本当の「新婚夫婦」のアパートみたいだ。

「今夜は何か特別な晩なの?」

「今日はママの誕生日よ。夕方、工場の公衆電話からブラジルに電話して、『おめでとう』を言ったわ。ママは一人で寂しいみたい。私たちのことも心配していたから、『トゥドゥ・べン(大丈夫)』と伝えたわ。今夜は私のおごりだから、一緒にお祝いして」

二人は、地球の裏側にいるアナの母親の誕生日を祝して、まずは缶ビールで乾杯した。

アナは、三本のろうそくを立てたチョコレートケーキの横に、来日前に三人で撮った写真を置いた。三人で祝う誕生日という意味らしい。

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彼女の母親のためにバースデイ・ソングを歌っているうちに、なぜか二人とも涙を流していた。

リカルドは、親戚や友人をたくさん家に招いて、にぎやかに祝うブラジルでの誕生パーティーが懐かしくなった。彼の両親は亡くなり、日本で頼れる「親族」といえば、偽装結婚したアナだけだ。

ブラジルではアナのことを外人と呼んでいたが、日本に来たら彼自身も外人と呼ばれ、まわりの日本人からは差別的な視線すら感じている。

ブラジルにいた頃、リカルドは祖父や両親から、「日本人として誇りをもって生きろ」と教えられたが、日本に来てから彼は、これからは、「ブラジル人として誇りをもって生きていこう」と思うようになった。

「アナ、日本に来たこと、後悔している? ブラジルにいた頃と違って、惨めな生活だよね。君は僕に頼って日本に来たけど、日本じゃ、僕の方が君に頼っているね。君と一緒に来て本当によかったよ」

「私を日本に連れて来てくれて、ありがとう。私はちっともみじめじゃないわ。優しくして思いやりのある人がいつもそばにいてくれて、今、私はとても幸せよ。実はこの頃、『リカルドとこのままずっと結婚生活を続けられたらいいな』なんて思っているの・・・」

その夜二人は、事の成り行きから、「結婚後」初めて男と女の関係になった。

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リカルドは、外人の女と関係をもつのは初めてだった

裸で抱き合ってみると、アナの体は、外見の格好よさだけでなく、吸い付くような肌触りと奥底からあふれでるような暖かさを備えていた。リカルドは、生まれる前に戻って、母親の胎内に包み込まれたような、不思議な心地よさを感じた。

9月3日・土曜日の朝、一つの布団から起き出した二人は、お互い何となく恥ずかしさを感じながら、いつもどおりシャワーを浴びて朝食をとった。

朝から日差しが照りつけて暑くなりそうな日だったが、二人はブラジル人の夫婦のように格好よく肩を抱き合い、さわやかな気分で仕事に出かけた。

「アテ・ローゴ(またあとでね)!」

大通りに出たところで、二人はキスをして別れ、別々の方向にある工場に向かった。

リカルドが「妻」の生きた姿を見たのは、これが最後だった。

「その日は少し残業して、午後の1時半頃アパートに帰ったら、テーブルの上に『友達のところへ行きます』というメモが残されていました。」

「うーん。君の話を聞く限りでは、サンパウロにいる守屋というブローカーと奥さんの母親あたりを調べれば、何か分かるような気がするな。まず、その二人の連絡先を教えて・・・。それから、よかったら、さっきの子供の出生証明書のコピーと、ブラジルで撮った君たちの写真も置いていってくれ。サンパウロにいる仲間に頼んで調べてもらうよ。何か分かったら、こっちから連絡するから」

 

リカルドが帰ったあと、私は、旧友で、「トドス・アミーゴス」のメンバーでもあるセルジオ金城にメールを送り、リカルドと偽装結婚して日本で死んでしまったアナという女のことを調べてもらうよう頼んだ。リカルドからあずかった書類と写真は、デジカメで撮ってメールに添付した。

セルジオは、サンパウロ州で不動産投資によって成功した日本人で、ブラジルの永住権を取り、今はサンパウロのビジネス中心街のパウリスタ通りに事務所を構えている。最近では、青少年向けのサッカースクールを開設し、日本からの留学生も受け入れている。

 

メールを送り終え、ログオフする前に、例のブラジルコーヒーを追加注文しようと思って、販売会社のホームページを開くと、社長のあいさつ文が掲載されていた。

『・・・今後も弊社をよろしくお引き立て願います。 株式会社木村屋コーヒー 代表取締役社長 木村健』

「木村健? あれっ、どこかで聞いたような・・・」

木曜日のアポの確認のため、夕方近くに木村氏の会社に電話すると、受付嬢が社長につないでくれた。

「はあ、どうも。お待ちしています」

木村社長はえらく元気がない様子で、小さな声でそれだけ言うと、自分から一方的に電話を切った。うつ病みたいな男を相手に、木曜日はいい取材ができるのか、何だか不安になった。

【第8話】に続く

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