小説 ある日曜日(Um Dia de Domingo)

 

【第8話】

その週の木曜日の午後、私は、予定どおり、西新宿にある木村屋コーヒーの本社を訪れた。

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約束の時間に社長室の受付に着くと、そこにはブラジル産の大きなアメジスト(紫水晶)が飾られていた。秘書にアポの件を告げると、すぐに社長室に通された。

その男は、紺色の深いじゅうたんが敷かれた部屋の窓際に立っていた。

長身で肩幅のある体を包むスーツはアルマーニか。彫りの深い顔は健康的に日焼けし、てかてかのオールバックの髪形がお似合いだ。年は40過ぎのはずだが、スポーツをしているのか腹は出ていない。

満面の笑顔と輝く目をして近づいてくる人物は、電話から想像したのとまったく違うイメージの男だ。

握手と名刺交換のあと、木村社長は、わざとらしいほど気さくな態度で話し出した。

「フリオさんですね。南米にいた頃、時々お名前をお聞きしましたよ。我々の先輩として活躍されていたそうですね。日本には永久帰国ですか」

「はい。もう金儲けには飽きたんで、これからの人生はゆっくりと楽しみますよ。今日は、お忙しいところ時間をいただき、ありがとうございます」

「いやいや、こちらこそ。取材していただき光栄です」

それから1時間以上、木村社長は、熱っぽく取材に応じてくれた。

木村氏は、幼い頃離婚した両親のどちらにも引きとられず、里親にあずけられて育った。

「もう亡くなりましたが、私の里親は、二人とも朝鮮生まれです。朝鮮ではそれなりにいい生活をしていたそうです。でも、戦争ですべてを失い、やっとの思いで帰国して、日本にいた彼らの親戚を頼ったそうですが、みんな居候には冷たかったそうです」

「あの頃、日本人の多くは食っていくだけで精いっぱいでしたからね」

「でも、彼らを助けたのは、普通の日本人よりもっと苦しい生活をしていた『在日』の人達だったそうです。私を里子にしてくれたのは、彼らに子供がなかったのと、行き場のない人間の悲しさを知っていたからでしょう」

「大人になるまではどんな生活を?」

「里親はよくしてくれました。でも子供の頃は、本当の両親と一緒に住んでいないという理由で、いろいろとつらい思いをしました。大人になってからは、就職するにも、女性と交際するにも、家庭環境が普通じゃないと苦労することを知りました。自分を見捨てた親や、自分にチャンスをくれない日本の社会を、いつか見返してやると思っていました。成人してからは里親のもとを離れ、ある中堅商社で下働きしながら、夜間大学を卒業しました」

そんな木村氏の人生に、やがて転機が訪れた。バブル期に、勤めていた会社からもらう給料やボーナスが右肩上がりになっていた頃、遊ばずに貯金した500万円をある株式に投資したところ、運よく大当たりした。

彼が賢明だったのは、株で儲けた金を不動産の購入などに使わず、昔からの夢だった自分の会社を設立するための準備金として蓄えたことだ。

バブル経済の崩壊が確実になり、勤めていた会社の経営にも蔭りが見え始めた1990年代の半ば、木村氏は会社を退職し、新規ビジネスの可能性を探し求めて半年間南米各地を旅した。

「実は以前から、日本では浮かばれない私も、海外に行けば飛躍のチャンスがあるかもしれないと、勝手に思い込んでいました」

「でも、なぜ南米に行かれたんですか」

「たまたま、在日韓国人の友人が、南米に移住している知り合いを紹介すると言ってくれたからです。南米にはまだまだチャンスがあるぞと聞いて、その気になって、地球の裏側まで行ってしまいました。でも、フリオさんの頃と違って、飛行機に乗ればすぐでした」

「商売のネタとしては、どんなものを探されたんですか」

「あの頃の日本は、『飽食』のバブル時代が終わり、健康的なものとか、いやし系のものを追い求める風潮がありました。そこで、パラグアイではダイエット効果があるハーブティーに、ブラジルでは有機栽培のコーヒーに目を付けました。商社時代に身につけた感で、こいつは儲かりそうだと思い、現地の生産者と直に取引して、日本に直輸入することにしました。

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木村氏は、帰国後さっそく有限会社を設立した。専門業者と提携して、有機栽培コーヒーや無添加ハーブティーの自動販売機を関東周辺 に設置し、一時期は儲けたものの、やがて競争相手が現れ、市場の拡大は頭打ちになった。

「帰国して商売を始めた頃は、苦労の連続でした。最初は大久保の職安通りにあるビルに事務所を構えて、従業員を数人雇っていましたが、毎月きちんと給料を払うだけでも大変でした。住まいは、事務所のそばに安アパートを借りていましたが、仕事が忙しくて、寝に帰るだけという生活でした」

木村社長の会社が大きく飛躍したのは、ティーバッグの加工業者と提携して、高品質かつ低価格のドリップ式コーヒーバッグの製品化に成功したからだ。

この成功をきっかけに、会社も株式会社木村屋コーヒーに組織変更し、今では、焙煎からパッケージまでをコンピューターで管理するハイテク工場をフル稼動させ、インターネット時代に対応した通信販売戦略によって、日本中の客からの注文に応じている。

「大手があまり進出していない分野に目を付けたのが正解でした。それに運がよかったですよ。長年の苦労がようやく報われたと思いました。仕事がうまくいきだしてから、事務所と住まいは、大久保から西新宿に引っ越しました」

木村社長は、話すほどハイな気分になり、仕事の話だけでなく、南米にいた頃の恋物語など、当時の私生活についても楽しそうに語ってくれた。

「私は、若い時分あまり遊ばなかったので、遅れてやって来た青春時代をエンジョイしようと思いました。あの頃つき合っていたセニョリータ(女の子)は、今頃どうしているかな、なんて、時々懐かしくなりますよ。余談ですが、いつか取引先の人とカラオケに行って、『五番街のマリーへ』とかいう昔の曲を聴かせてもらった時は、なぜか南米に残してきた彼女のことを思い出して、涙が出ました・・・」

「あっ、いいニュースを思い出しました。社長は最近、ある代議士先生のご令嬢と三年間の交際の末婚約されたそうですが、花の独身生活ともいよいよお別れですね。で、結婚式の日取りは?」

「その件ですが、実は、郵政の民営化に反対していた先生は、今度の総選挙で党の公認を得られず出馬を断念しました。もう政界から引退するそうです。当分は結婚話どころじゃないですよ。あっ、これは記事にしないでくださいね」

「そうですか。それは残念ですね。では、最後に、仕事について、これからのビジョンを聞かせてください」

木村社長は、なぜか一瞬もの悲しそうな表情を浮かべたが、すぐに自信に満ちた顔と雄弁さを取り戻した。

「木村屋コーヒーを、グローバルなIT時代にふさわしい会社にしようと思っています。扱う商品もコーヒーやハーブティーだけでなく、南米産の健康食品などにも広げたいですね。これからの時代は、ただ汗水流して働くだけではだめで、世の中の仕組みをもっと勉強して、賢く商売しないと生き残れません。たとえば、金さえあれば、関連会社の株式を取得して傘下に入れる方が、一から会社を興すより手っ取り早いですよ。それから、本社を六本木か赤坂あたりに移すのが夢です。今の会社の名前は前近代的でダサいので、もっとカッコイイ名前に変えたい」

「なるほど」

「あっ、これもオフレコでお願いしますが、私は来月から六本木ヒルズのレジデンスに引っ越す予定です」

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「社長も、いよいよ『ヒルズ族』の仲間入りですか」

「まあ、遅ればせながら・・・」

どうなるかと思った木村社長の取材は無事に終わった。予想以上にいい記事が書けそうだ。それにしても、彼、電話で話した時は相当疲れていたのかな。『ヒルズ族』を目指す人は大変だ。

帰り道、あまり知らない「昭和の時代の日本」を体験したくなり、新宿西口の『思い出横丁』に寄って、一人で一杯やった。

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すっかり酔っ払って、飲み屋のオヤジと意気投合していると、リカルド田中がケータイに電話してきた。何か分かったことがあれば、東京に聞きに来るので、よろしくだそうだ。

【第9話】に続く

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