小説 ある日曜日(Um Dia de Domingo)

 

【第2話】

9月最後の日曜日、ある日系人が、事前のアポもなく事務所に現れた。

彼のように外国から出稼ぎに来ている連中の多くは、日曜日しか時間がとれないようだ。私は、毎日が日曜日のような生活をしているので、いつ客が来ても迷惑しないし、むしろ一人暮らしの寂しさを紛らわせてくれるので嬉しい。

短髪でまじめそうな顔をしたその男は、リカルド田中と名乗った。年は私の息子と同じく30ちょっと過ぎか。体付きはがっちりしているが、ちょっと腹が出ている。南米ではこんな体型をした日系人をよく見かける。

昨夜はラテンバーにアミーガ(女友達)の歌を聴きに行って、カイピリーニャ(ブラジル焼酎のカクテル)を何杯も飲んで朝帰りし、そのままソファで寝込んでいたところを起こされたので、まずは眠気覚ましのコーヒーが必要だ。

caipirinha

caipirinha

「突然おじゃましてすみません」

「いや、いや。ちょうどいい時に来た。うまいブラジルコーヒーをごちそうするよ。通信販売でしか手に入らないやつだ。ソファに座ってちょっと待ってて」

「どうぞおかまいなく」

私は、密封されたパッケージから取り出したドリップ式のコーヒーバッグをカップにのせてお湯を注ぎ、さえない顔をしている訪問者に勧めた。

ドリップ式コーヒー

ドリップ式コーヒー

「美味しいですね!ブラジルではこんなコーヒー飲んだことないですよ。本当にいいコーヒーは日本に来ているんですね」

「そのとおり。これを売っている会社は、現地の農家から有機栽培のコーヒーを直輸入してるんだ。その会社の社長は、最近大物代議士の娘と婚約して話題になってるよ。今度私は、彼の成功物語について記事を書くんだ。それはそうと、この会のことはどうやって知ったのかな。あまり宣伝してないけど」

「フリオさんは、出稼ぎ連中の間では有名ですよ。外人の相談に親身に付き合ってくれる人だって」

「それはどうも。で、今日は何のご用かな?」

「実は、日本に一緒に働きに来た妻が・・・、変な死に方をしました。どうして死んでしまったのか、よく分からないんです」

リカルドの話を聞きながら、私は最近読んだ新聞の記事を思い出した。

リカルドは、9月4日・日曜日の早朝、突然警察から東京で妻の死体が見つかったとの連絡を受けたという。連絡先は妻が持っていた外国人登録証から分かったらしい。彼は所属先の派遣会社の社員に付き添われて東京に出かけた。

「まず、妻の遺体の身元確認をさせられて、・・・それから、警察で長い時間いろいろと聞かれました。僕たちは6月に一緒に日本に来てから、ずっと群馬にいました。前の日の土曜日は、いつもどおり二人でアパートを出て、彼女は勤めている工場の方に歩いて行きました。僕が昼ごろアパートに帰ると、テーブルの上に『友達のところへ行きます』と書いたメモがありました。その日の朝は何も言ってなかったので変だなと思いましたが、夜になっても帰って来ないので、いよいよ心配になりました。それまで、そんなことは一度もありませんでしたから。その晩はほとんど眠れずに待っていると、朝になって警察から連絡がありました」

「奥さんはなぜ東京に来たのかな?」

まったく分かりません。僕は、今度の事件で初めて東京に来ましたが、ブラジルのサンパウロも大きな都市ですが、東京も同じくらい大きくて人が多いなと感じました。六本木というところで、妻が発見された場所に行きましたが、彼女はなんであんなところで死んでいたのかと思いました」

涙ぐむリカルドには申しわけないが、思い出したことを聞いてみた。

「奥さんは麻薬が原因で死んだとか?」

「信じられませんが、彼女自身が麻薬をもっていたらしくて、僕が東京にいる間に、警察は群馬の僕らのアパートを念入りに調べたらしいです。もちろん何も出てきませんでしたが・・・」

警察の取調べが一応終わった後、リカルドは在京のブラジル総領事館に妻の死亡届を提出し、遺体は派遣会社の手配でサンパウロに搬送され、遺族に引き渡された。

結局、リカルドの妻の死は、麻薬に手を出した外人の自業自得による死亡事件として処理されそうだ。彼をはじめ親族の誰かが働きかけなければ、ただでさえ忙しい警察は、勝手に死んだ外人の事件にこれ以上関わってくれそうもない。

「君は、奥さんの遺体と一緒にブラジルに帰らなかったの?」

「実は、僕と妻は・・・来日前に、日本にいる間だけという約束で結婚しました。妻の母親や僕たちを結びつけたブローカーと電話で話しましたが、もう妻のことは忘れろと言われました」

「つまり、二人は偽装結婚したんだ。君は、これ以上警察と付き合うと、そこらへんを追求されると思ったから、ここに相談しに来たというわけか?」

「正直に言うと、最初は二人とも本当の夫婦になる気はありませんでした。でも、日本で同じ屋根の下で、苦労しながら暮らすうちに、僕たちは本当の夫婦みたいな関係になったような気がします」

「『本当の夫婦みたいな関係』って、どういう意味かな?」

「うまく説明できませんが、お互いに・・・身近にいる時は何も感じなくても、相手がいなくなると、そこにポッカリ穴が開いたような気がすると言うか・・・」

「へー、いいことを言うね。すると、世の中には、正式に結婚しても本当の夫婦じゃない連中もたくさんいるわけだ。で、私に何かお手伝いできることがあるのかな?」

「妻が何のために東京に来て、なぜ死んでしまったのか、本当の理由を知るために、フリオさんの力をお借りしたいんです」

「警察は何と言ってるの?」

「六本木では最近麻薬が流行っているらしくて、警察は、妻は誰か悪い仲間に誘われてそこに出かけて、軽い気持ちでやったのだろうと言っています」

「そうじゃない可能性もあるの?」

「妻は僕と一緒に初めて日本に来たので、東京のどこかに一人で来れるはずがないと思います。それに、妻の仕事仲間に聞いたら、彼女は時々職場の公衆電話からどこかに電話をしていたと言っています。電話の相手は僕じゃないし、誰だったのでしょう? それと警察は、妻の死体が発見される前に、男の声で救急の電話に通報があったと言っていますが、誰が連絡したのか分かりません。現場には妻が一人で倒れていたそうです」

「つまり奥さんは、電話で話していた人物と一緒に東京に遊びに来て、思いがけない事件に巻き込まれたんじゃないか。救急車を呼んだのはそいつか、あるいは倒れていた奥さんをたまたま見つけた通行人かもしれないよ」

「でも、妻は誰かと遊ぶために東京に来たとは思えません」

「君も誘ってもらいたかった?」

「そうではなくて、妻が東京に来たのは何か別の理由があったのかもしれないと思っています」

「たとえば?」

「たとえば・・・妻が職場で使っていたロッカーからこれがでてきました」

「何かの書類?」

ペドロPedro)という男の子の出生証明書のコピーです。サンパウロ市の公証役場が発行していますが、オリジナルはどこにあるか分かりません。この子は、3年前にサンパウロ市内の病院で生まれています。母親の欄には『Calorina Santos』という名前がタイプされていて、その下に母親自身のサインと身分証明書の番号が登録されています。父親の欄は空白ですが・・・矢印が延びた余白に誰かが『Ken Kimura』と手書きしています。カロリーナ・サントスケン・キムラというのは誰なのか、妻はなぜこんなものをもっていたか分かりません。彼女は、この書類のことについては何も話しませんでしたから」

「君たちは正式に結婚したわけじゃないから、お互い知らないことがあっても当然だよね? 普通の夫婦にも、秘密の一つや二つはあるからね」

「それもそうですが・・・」

「まあいいや。せっかく来たんだし、今日は暇だから、奥さんと結婚することになった経緯や、ここに来るまでの出来事について、じっくり話を聞かせてくれ。警察に言えないことも含めて、全部話してほしいな。うちの会の仲間に頼めば、君が知りたいことが少しは分かるかもしれないよ」

それにしてもリカルドは、日本国籍をもたない日系三世にしては日本語が上手だ。ブラジルでは家の外であまり日本語は話さないだろうから、きっと家にいる時は両親と日本語でたくさん話をしたに違いない。私は経験上、上手な日本語を話す子供がいる日系人の家庭には、必ず温かい家族の絆があることを知っている。

【第3話】に続く

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